NO MORE FUKUSHIMA 2011
添田孝史氏「刑事裁判傍聴記」
このページは添田孝史氏による福島原発告訴団「刑事裁判傍聴記」のコンテンツを、両者よりWEB転載の許諾を得てテキスト形式で掲載しております。
soeda
※上記画像の撮影隣接著作権は当サイト管理人に帰属します。
【福島原発刑事訴訟支援団】この刑事裁判 見逃せない



刑事裁判傍聴記:第34回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/11/34.html
「母は東電に殺された」被害者遺族の陳述

11月14日の第34回公判では、大熊町の病院や介護施設から避難する時に亡くなった被害者の遺族が意見
陳述した。2人が法廷で被告人に対して直に意見を述べ、さらに3人分の意見は弁護士によって代読された。
自衛隊さえあわてて撤収する高い放射線量のもと、中心静脈栄養の点滴を引き抜かれ、バスに押し込めら
れて10時間近くも身動きできないまま運ばれ息絶える。あるいは、病院に置き去りにされたまま、骨と皮の
ミイラのようになって死ぬ。

原発事故が起きると、21世紀の先進国とは思えない異常な死に方を強いられる状況が、あらためて示された。
そして、穏やかに看取ってあげられなかった遺族の無念の思いが法廷で述べられた。

そのような悲惨な事態を誰が引き起こしたのか。

 「現場に任せていた」という被告人らの説明では、遺族たちは納得していないことも、「東電に殺された」という
強い言葉とともに訴えられた。

 以下に、意見陳述の概要を紹介する。

「想定外で片付けられると悔しい」
介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に入所していた両親を亡くした女性=法廷で意見陳述
「想定外で片付けられると悔しくてなりません。太平洋岸には他にも原発があるのに、なぜ福島第一原発だけが
爆発したのか。何かしらの対策を取っていれば、女川や東海第二のように事故は防げたのではないかと思うと許
せません。わかっていて対策をせず、みすみす爆発させたのなら未必の故意ではないのか。誰一人責任者が責
任を取っていないのは悔しい」

「責任者を明らかにするのが大切」
ドーヴィル双葉に入所していた祖父母を亡くした男性=法廷で意見陳述
「(2002年の)東電のトラブル隠しのあとに起きているのがとても残念です。高度な注意義務を負う経営者に、刑事
責任をとってもらわないと今後の教訓にならない。もう二度と同じ思いをする人が出ないように」

原発を不安に思っていた父
双葉病院に入院していた父(97歳)を亡くした女性=弁護士が代読
「父は寝たきりで2時間ごとの体位交換が必要でした。経口摂取も困難で中心静脈カテーテルで栄養や薬剤の投与
を受けていましたが、避難の際に抜かれ、水分や栄養分を摂取できなくなりました。このような酷い状況に10時間近
くも置かれ、父は亡くなったそうです。父は寒がりでしたし、水分や栄養を摂取できず、身動きもできない状況で、ど
れほど辛く、苦しかったことでしょう。
私が結婚するにあたって、夫が実家に挨拶に訪れた際に、父は「ここは原発があるからな」と不安を口にしました。
原発のことを不安に思っていた父が、原発事故で亡くなるとは全く想像もしていませんでした」

「慢心があったとしかいいようがありません」
双葉病院に入院していた兄を亡くした人=弁護士が代読「(事故の)直前の数年間、大きな災害が続いた。国会でも
原発の津波対策について質疑があった。東電の経営者は、あくまで他人事のように見ていたのではないか。もし切
迫した緊張感を持って経営していれば事故は避けられただろう。東電は自らが安全神話にとりつかれ、慢心があっ
たとしかいいようがありません」

「トップの責任を認めて欲しい」
双葉病院に入院していた母を亡くした女性=弁護士が代読
「遺体を確認したとき、骨と皮のミイラのようだった。被告人の方、この時の気持ちが分かりますか。この裁判であなた
方は「部下にまかせていた。私の知り得ることではない」と言い続けている。経営破たんした別の会社の社長は「すべ
て私の責任。社員を責めないで」と言っていた。あなた方もトップの責任として、なぜこのくらいのことを言えないのです
か。母の死因は急性心不全だが、東電に殺されたと思っている」

刑事裁判傍聴記:第33回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/11/33.html
「責任は現場にある」は本当なのか

10月30日の第33回公判では、勝俣恒久・東電元会長の被告人質問が行われた。勝俣氏は2002年10月から
代表取締役社長、2008年6月からは代表取締役会長を務めていた。

敷地を超える最大15.7mの津波計算結果は原子力・立地本部長の武黒一郎氏まであがっていたが、それに
ついて勝俣氏は「知りませんでした」と述べた。

「原子力安全を担うのは原子力・立地本部。責任も一義的にそこにある」と、自らの無罪を主張した。一方で、
福島第一原発の津波のバックチェックが遅れていたことは認識していたと述べた。

勝俣氏への質問に先立ち、公判の最初の約1時間は、武黒氏の被告人質問が10月19日に引き続いて行わ
れた。

また公判の最後で、永渕健一裁判長は、検察官役の指定弁護士が請求した事故現場周辺の検証を「必要
性がない」と却下した。

「責任は原子力・立地本部にある」
勝俣氏は、現場に任せていたから自分に責任は無いと一貫した姿勢で繰り返した。

「社長の権限は本部に付与していた。全部私が見るのは不可能に近い」
「そういう説明が無かったんじゃないかと思います」
「私まで上げるような問題ではないと原子力本部で考えていたのではないか」
「いやあ、そこまで思いが至らなかったですねえ」

勝俣氏の説明によれば、東電の社員は38000人、本店だけで3000人いる。原発を担当する原子力・立地
本部を含めて本部が4つ、部が30程度ある。

勝俣氏の弁護人の説明では、福島第一の耐震バックチェックについて議論された月1回の「御前会議」に出
されてくる資料は、多いときは60ページ以上あり、それぞれのページにパワーポイントが4画面印刷されてい
た。大量の情報が詰め込まれていて、細かく見ることは出来なかったという。

勝俣氏は「1枚1枚説明されてはいませんでした」と、技術的な詳細については理解していなかったと述べた。

「津波は少し遅れてもやむを得ない」
津波対策のため防潮堤建設に着手すれば、数年間の運転停止を地元から迫られる経営上のリスクがあっ
(*1)。原発を止めれば、その間に代替火力の燃料代が数千億円オーダーで余計にかかる(*2)。津波
対策工事に数年かかるならば、津波対策費用は兆円オーダーに達する可能性もあった。

その重大なテーマに、勝俣氏が関心を持っていなかったとはとても考えにくい。御前会議の議事録によると、
一つの変電所の活断層の対応について勝俣氏が細かな指示をしていた。そのくらい、細かなことも見てい
たのだ。

しかし、御前会議の配布資料にあった津波高さなど細部については、勝俣氏は「聞いていない」と繰り返した。
一方で東電の津波対応が遅れているという認識はあったことを認め、以下のように述べていた。

「東電は日本最大の17基の原発を持つ。バックチェックで津波は少し遅れても、やむを得ないと考えていた」
「よくわかりませんけれど、(バックチェックのスケジュールが)後ろに延びていった気がします」

福島第一は安全なのか、最新の科学的知見に照らし合わせて点検する作業がバックチェックだ。それを完了
しないまま、漫然と運転していることを知っていたのだ。

東電には原発が17基ある。だから、数基しかない他の電力会社より安全確認が遅れても「やむを得ない」とい
う勝俣氏。トラックをたくさん持っている運送業者は、数台しか保有しない業者より車検が遅れても「やむを得
ない」と言っているのと同じだろう。なぜ「やむを得ない」のか、理解できない。

もし、コストカットに関わる問題で、部下が他の電力より作業を何年も遅らせたら、勝俣氏は烈火のごとく怒鳴
りつけていたのではないだろうか。一方、安全に関しては当初期限より7年も遅れ、他社よりも数年遅れとなっ
ても「やむを得ない」と許していたのだ。

「長期評価で企業活動をとることはありえません」
この公判の勝俣氏の発言でもっとも驚いたのは、政府の地震本部がまとめた津波予測について「そういうもの
をベースに企業行動を取ることはありえません」と強い口調で切り捨てたことだ(*3)

「長期評価に絶対的なものとして証言したのは島崎(邦彦)先生だけ。信頼性のおけるものではないと思う」とも
述べた。

日本海溝沿いで津波地震が起きる確率は、地震本部によれば30年で20%程度。福島沖に限定すれば6%程
度と考えられていた。

今後30年で6%の発生確率、しかも確実さについては研究者間で意見が必ずしも一致していない災害。それに
備えようとすれば兆円単位の損失が生じる可能性がある。そんなものに企業が備えられるわけがない、という
のが経営者としての勝俣氏の考えなのだろう。

経営リスクは減らし、住民のリスクを残す
もし東電が沿岸部に持っているのが火力発電所だけなら、勝俣氏の判断はありえるだろう。被害は限定的なも
のに収まるからだ。

しかし原発が大津波に襲来されると、その被害が甚大なものになるのは、2006年の溢水勉強会の報告、2008年
の15.7m予測、そしてチェルノブイリ原発事故の被害様相などから見当はついていた。東日本壊滅の事態さえあ
りえたことは、原子力委員会委員長だった近藤駿介氏のレポート(*4)で明らかになっている。

津波によるリスク=発生確率?引き起こす被害の大きさ

というリスクの考え方によれば、たとえ発生確率が低くても、引き起こす被害が甚大ならば、そのリスクはとてつも
なく大きいことになる。

東電経営陣は、発生確率は低いだろうという憶測のもと、リスクの大きさには目をつぶり、津波対応を先延ばしし
ていたと見られている(*5)

「先延ばし」は、会社の短期的な経営的視点にもとづけば、もっとも選びやすい選択肢だったのだろう。しかし、
社会に及ぼすリスクという観点からは、とても危険な選択だった。

東電は、2002年には原子力安全・保安院から長期評価の津波を検討するよう要請されていた。その対応を事故
時点まで何も対策をしないまま、先送りした。それによって運転停止という経営リスクが現実化するのを先延ばし
することは出来たが、一方で住民への津波リスクは9年の間、まったく軽減できず(*6)、結局大事故を起こした
ことになる。

吉田部長「保安院に明確に指示してもらおう」
「最大15.7m」の津波予測を事故の4日前まで東電は保安院にさえ明かさず、対策に生かされなかった経緯につ
いて被害者の代理人である海渡雄一弁護士が「(計算結果を)隠し持っていた」と追及すると、勝俣氏は「隠し持
ってたわけじゃなくて、試算値ですよ。試算値で騒ぐのはおかしいんじゃないですか。15.7mに、どの程度の信頼
性があるのかに尽きる」と強い口調で反論した。

原発における津波リスクのような低頻度巨大災害リスクを、予測が確実となる前に公表して、公開の場で議論し、
必要な対策を取る。そんな手続きはあり得ないというのが勝俣氏の考えなのだろう。いくら時間をかけても、予測
が確実になることは永遠にあり得ないのだが。

また、勝俣氏は、副社長当時の2001年4月、電力自由化を巡る記事(*7)でこうコメントしている。

「これまでの発電所建設では効率化より信頼度に比重が多少よっていたことは確かだが、信頼度が多少危うくなっ
ても値下げを追及するよう発想を変えた」

勝俣氏は、2007年9月の社内報(*8)では以下のように述べていた。

「グループの総力を挙げ、これまでとは次元の異なるコストカットに取り組むことが不可欠です。設備安全・社会安
全上どうしても必要な工事などは行いつつも、それ以外は厳選し、場合によっては中止するなど、修繕費をはじめ
費用全般にわたる削減について、それぞれの職場で非常時の対応をお願いします」

この公判で海渡弁護士が読み上げたメールの中に、興味深い記述があった。津波想定を担当する土木グループ
の酒井俊郎氏が2008年3月20日に関係者に送ったメール「御前会議の状況」(*9)の最後の部分だ。

「吉田部長アイデアでは、中間報告からNISAから推本モデルを考慮するよう明確な指示、電力で対応というのもあ
りました」

現場担当者は、地震本部の長期評価(推本モデル)にもとづく15.7mの津波対策が必要と考えていた。しかし、運転
停止で兆円オーダーの費用がかかる経営上のリスクがあり、経営陣を説得できそうにない。そこで、NISA(保安院)
から推本モデルを考慮するよう明確に指示してもらうことで、勝俣氏ら経営陣を動かそうと考えていたのではないだ
ろうか。

もっと賢い、金のかからない代替案もあったのに
 防潮堤を作る以外に、もっと賢い方法もあった。原発がたとえ水に浸っても電源さえ確保出来れば炉心損傷しない
ことはわかっていた(*10)。中央制御室で原子炉の状態をモニターしたり、非常用冷却設備の制御をしたりするた
めの最低限の直流電源と、外部から炉心に注水する消防車の運用方法などを準備しておけば、周辺環境に放射性
物質を撒き散らすような事故は防げたのだ。

日本原電の東海第二原発は、2007年の中越沖地震の後、高い場所に空冷の非常用発電機を増設し、原子炉につ
ないでいた。海岸沿いの非常用海水ポンプが津波にやられてしまっても、電源を確保するためだったと見られる。

「数百億円ぐらいの安全投資ではたじろぐものではない」と被告人の一人、武藤栄・元副社長は公判で述べたが、こ
んな対策ならば、それほどもかからなかっただろう。

本当に賢い経営者は、経営と住民の両得となる、そんな案を選ぶ人なのだと私は思う。勝俣氏は「カミソリ」と呼ばれ
ていたらしいが、単に目先の経営リスクを削って、津波のリスクを住民に押し付けただけだったように見える。

繰り返される「東電が考えた安全」の失敗
2002年12月11日、当時社長だった勝俣氏は「社会の皆様にご迷惑をおかけし深くおわびしたい」と記者会見で頭を
下げていた。

福島第一原発の定期検査不正問題に関しての会見だったが、その時、東電はこんな文書をまとめていた(*11)

「『(自分たちが考える)安全性さえ確保していればいい』といった意識が存在し、これが不正行為を実行する際の心
理的な言い訳になったものと考えられます。「安全」というものは、自分たちだけで決めるものではなく、広く社会に受
け入れられるものでなくてはならないということを、改めて全社に徹底する必要があると考えております」

「長期評価を取り入れるかどうか、土木学会に審議してもらう。そのために数年かかっても、やむを得ない。現状でも
土木学会手法で確認しているから、先延ばししても安全だ」というのは、東電が考えた安全でしかなかった。

実際は、土木学会手法で福島第一原発は安全なのか、規制当局が確かめたことはなかった(*12)。土木学会手法
を取りまとめた首藤伸夫・東北大名誉教授も、福島第一に土木学会手法を超える津波が襲来したことについて「まっ
たく驚かなかった」と述べているぐらいだ(*13)

福島第一が津波に対して安全なのか確かめるバックチェックは、2009年6月までに終える約束だった。東電はそれを
ずるずると延ばした。遅れは勝俣氏も認識していた。他社より何年も遅れることは、広く社会に受け入れられる「安全」
とは相容れないものだった。

結局、2002年と同じ失敗を繰り返したのである。その自覚のない東電は、また繰り返すことだろう。

中間報告の津波外し、残ったナゾ
この公判でスクリーンに映し出された2009年2月の御前会議に提出された資料「福島サイト耐震安全性評価に関する
状況」には、よくわからない記述があった。

「「中間報告」にかかる福島県からの要望」として、「最終報告が遅れる理由(床の柔性)の影響を受けない事項は、出
来る限り提示してほしい」と書かれていた。その福島県の要望に対し、最大報告可能範囲が列挙され、津波は「全評
価対象(土木学会手法による津波など)」とされていた。報告しようと思えば、報告できる段階にあったと見られる。

一方、次のページには「地震随伴事象(津波)」の横に、手書きで「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書か
れていた。

東電は2009年6月に、福島第一1号機から4号機及び6号機の耐震バックチェック中間報告書を提出している。これに
は津波の報告は含まれていなかった。

2009年2月の段階で、福島県は東電に対し、バックチェック中間報告の項目について、どんなふうに要望していたの
だろうか。東電はそれに対し、津波についても報告可能範囲としながら、実際の中間報告には記載しなかった。それ
を誰が決めたのか。
「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書かれた議論は、どのようなものだったのか。

そして福島県は、「出来る限り提示してほしい」と要望していながら、なぜ津波抜きの中間報告で了承してしまったのか。

わからないことが数多く残されている。
______________

*1 「10m盤を超える対策は沖に防潮堤を造ることだが、平成21年6月までに工事を完了することは到底不可能であ
った。工事期間は4年かかる。最悪、バックチェック最終報告書の提出期限を守れなかったとして、「工事が終わるまで
原発を止めろ」と言われる」
山下和彦・中越沖地震対策センター所長の検察官面前調書による。

*2 勝俣氏の説明によると、柏崎刈羽の7基約800万kWが止まると、火力で代替するために、ざっと年5000億円、燃
料費が増えるという。津波対策で福島第一(6基、470万kW)、福島第二(4基、440万kW)が止まると、費用は同程度と
見られる。ただし使用済み燃料の後始末などを正確には反映していない電力会社の短期的視点にもとづく費用だ。

*3 勝俣氏は、長期評価については事故前は知らなかったと述べていたので、これは裁判で長期評価について聞い
て考えた結果という意味なのだろう。

*4 近藤駿介「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」2011年3月25日

*5 「福島沖海溝沿いでは過去に起きていないから従来の3倍や2倍(10m)など来ないと思っていた。根拠は特にない」
山下和彦・中越沖地震対策センター所長の検察官面前調書による。

*6 LEVEL7  「津波対応、引き延ばした」東電、事故3年前に他電力に説明

*7 AERA 2001年4月9日号 p.28「電力業界脅かす異端児」

*8 とうでん 2007年9月 p.5

*9 甲A184号証のうちの一つ。これまで要旨告知はされていたが、さらに詳しく海渡弁護士が法廷で読み上げた。内容
は以下の通り。

3月20日の御前会議の状況
関係者が多い福島バックチェックから記載し、その後に中越関係を書きます。
福島バックチェック関係要対応津波関係 機微の情報を含むため転送不可

大出所長から推本モデルは福島県の防災モデルにも取り込まれており8m程度の数字はすでに公開されている。最終報
告で示しますでは至近の対応ができないとのコメントあり。今回Ssで評価するプレート沿いの推本断層モデルを評価する
こととなったことについて

@土木学会では評価不要としていたこと
A推本評価を踏まえて今回評価せざるを得なくなったことの事実関係をまず整理。
ここで吉田部長から推本の当該モデルの取り扱いについては現在も土木学会で議論が継続している、土木学会で結論は
出ていないとのニュアンスで聞いているとあったので、小生からは土木学会の結論は平成14年断面それ以降、推本の扱い
を学会で議論きているわけではない。旨回答し、事実関係を整理するとなりました。
その上で、大出所長懸念を踏まえたQAの充実、たとえば福島県の津波防災では推本のモデルを評価しているがこれにつ
いて検討はするのかしていないのか。A平成14年の津波評価では当該のモデルを評価しているのか。していないのは検討
が不十分だったのか、などを含めた関連QAを明日中程度に作成したいと思います。
津波に関しては推本モデルの適用ということで、当社福島地点のみの問題ではないため、太平洋岸各社で連携してアクシ
ョンプラン(改造表明がバラバラにならないよう)などを明確にしていつのタイミングでどう打ち出すかを確定する。結果がわ
かった段階で改造に取り組むが、結果のアナウンスなしに改造を表明できない。
吉田部長アイデアでは、中間報告からNISAから推本モデルを考慮するよう明確な指示、電力で対応というのもありました。

*10 溢水勉強会や、JNESの報告書などによる

*11 「原子炉格納容器漏洩率検査に係る問題について(最終報告)」の提出について
この中の
「本件に関する当社の認識及び今後の対応について」

*12 2002年に土木学会手法が発表されたとき、保安院の担当者は以下のように述べていた。
 「本件は民間規準であり指針ではないため、バックチェック指示は国からは出さない。耐震指針改訂時、津波も含まれると
思われ、その段階で正式なバックチェックとなるだろう」
東電・酒井氏が2002年2月4日に他の電力会社に送ったメールから

*13 『原発と大津波』p.43

刑事裁判傍聴記:第32回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/10/32.html
「福島第一は津波に弱い」2度の警告、生かさず

10月19日の第32回公判では、武黒一郎・東電元副社長の被告人質問が行われた。武黒氏は2007年6月から
2010年6月まで取締役副社長原子力・立地本部本部長であり、津波対策が検討された当時、原発の安全対策
の責任者だった。

2008年2月の「御前会議」、同3月の常務会で、政府の地震本部が予測した津波に基づく対策を、被告人らが
いったん了承したのではないかと問われ、武黒氏は「意思決定の場ではありませんでした」「常務会の報告内
容と直接かかわらない補足的な内容だ」などと否定。
2009年4月か5月に、初めて15.7mの津波予測を聞いたと説明した。

一方、この公判で初めてわかったこともあった。武黒氏は、事故前に二度にわたって「福島第一は津波に弱い」
という情報を受け取っていたらしいことだ。

武黒氏は、敷地を超える津波が全電源喪失を引き起こすこと、政府予測では津波は敷地を超えること、両方の
報告を遅くとも2009年春までには受けていた。それにもかかわらず、福島第一原発の安全確認である耐震バッ
クチェックを当初予定より7年も先送りしていた。

「来てもおかしくない最大の津波を想定すべき」
武黒氏が福島第一の津波に対する脆弱性を知ることが出来た最初の機会は、1997年から2000年ごろにかけて
のことだ。

このころ、東電の原子力管理部長だった武黒氏は、電事連の原子力開発対策会議総合部会(以下、総合部会)
のメンバーにも入っていた。ここではたびたび、津波問題
が話し合われていた(*1)

1997年6月の総合部会議事録によると、当時建設省などがとりまとめていた「7省庁手引き」(*2)について、
以下のように報告されている。

「この報告書(7省庁手引き)では原子力の安全審査における津波以上の想定し得る最大規模の地震津波も加
えることになっており、さらに津波の数値解析は不確定な部分が多いと指摘しており、これらの考えを原子力に
適用すると多くの原子力発電所で津波高さが敷地高さ更には屋外ポンプ高さを超えるとの報告があった」

同年9月の第289回総合部会でも、以下のように報告されている。

◯  従来の知識だけでは考えられない地震が発生しており、自然現象に対して謙虚になるべきだというのが地
震専門家の間の共通認識となっている。

◯  最近の自然防災では活断層調査も含めて「いつ起きるか」よりも「起きるとしたらどのような規模のものか」を
知ることが大切であるとの基本的な考え方となってきており、津波の評価においても来てもおかしくない最大のも
のを想定すべきである。

◯  現状の学問レベルでは自然現象の推定誤差は大きく、予測しえないことが起きることがあるので、特に原子
力では最終的な安全判断に際しては理詰めで考えられる水位を超える津波がくる可能性もあることを考慮して、
さらに余裕を確保すべきである。

1998年7月の第298回総合部会でも、「津波に対する検討の今後の方向性について」として、以下のような報告が
されている。

(前略)
(2)余裕について
原子力では数値シミュレーションの精度は良いとの判断から、評価に用いる津波高には余裕を考慮せず計算結果
をそのまま用いてきた。 MITI顧問(*3)は、ともに4省庁の調査委員会にも参加されていたが、両顧問は、数値シ
ミュレーションを用いた津波の予測精度は倍半分程度とも発信されている。さらに顧問は、原子力の津波評価には
余裕がないため、評価にあたっては適切な余裕を考慮すべきであると再三指摘している(ただし、具体的な数値に
関する発言はない)。

「全国で最も脆弱」と判明していた福島第一
2000年2月24日に電事連役員会議室で開かれた第316回総合部会で、重要な報告があった。検察官役の指定弁護
士、石田省三郎弁護士が、電気事業連合会の議事録をもとに明らかにした。

津波予測の精度は倍半分(2倍の誤差がありうる)と専門家が指摘していたのを受けて、通商産業省は、シミュレー
ション結果の2倍の津波が原発に到達したとき、原発がどんな被害を受けるか、その対策として何が考えられるかを
提示するよう電力会社に要請していた。電事連がとりまとめた
その結果が示されたのだ。

福島第一は、1.2倍(5.9〜6.2m)の水位で、「×(影響あり)」「海水ポンプモーター浸水」と書かれていた。1.2倍で「×」
になるのは、福島第一と島根しかないことも報告された(表)。福島第一は、全国で最も津波に余裕がない原発だとこ
の時点でわかっていたのだ。約半分の28基は、想定の倍の津波高さでも影響がないほど安全余裕があることも示さ
れていた。

石田弁護士は解析結果を示して、「当時より、福島第一に津波が襲来したとき裕度が少ないことは議論されていたの
ではないか」と武黒氏に質問。武黒氏は「欠席しております。津波評価に関わることですので、担当部署に伝えられた
と思う」と答えた。

議事録によると、確かにこの回は武黒氏は欠席していた。しかし前述したように、1997年以降、電事連の総合部会で
は何回も津波問題が話し合われていた。それを武黒氏が知らなかったとは考えにくい。

この回の総合部会では、土木学会手法のとりまとめをしていた土木学会津波評価部会の審議状況についても報告さ
れていた。議事録にはこう書かれている。

津波評価に関する電力共通研究成果をオーソライズする場として、土木学会原子力土木委員会内に津波評価部会を
設置し、審議を行っている。

電力関係者が過半数を占め、電力会社が研究費を負担して津波想定を策定する土木学会の実態(第22回傍聴記参照)
についても、武黒氏は知っていた可能性がある。

「可能であれば対応した方が良いと理解していた」
 「福島第一が津波に弱い」と聞いた2回目は、2006年9月の第385回総合部会の時だ。このころ、武黒氏は常務取締役
原子力・立地本部長で、総合部会長を務めていた。この回では、原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構(JNES)が
設置した溢水勉強会の調査結果について紹介されている。

同年5月、福島第一に敷地より1m高い津波が襲来したらどんな影響が出るか、東電は溢水勉強会に報告していた。
非常用電源設備や各種非常用冷却設備が水没して機能喪失し、全電源喪失に至る危険性があることが報告されていた。
それが総合部会で取り上げられたのだ。

「国の反応は、土木学会手法による津波の想定に対して、数十センチは誤差との認識。余裕の少ないプラントについては
「ハザード確率≒炉心損傷確率」との認識のもと、リスクの高いプラントについては念のため個別の対応が望まれるとの認
識」と議事録にはある。

また、同年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの、電力会社への
要請も武黒氏に伝わっていたと証言した。
保安院の担当者は以下のように述べていた(*4)

「自然現象は想定を超えないとは言い難いのは、女川の地震の例からもわかること。地震の場合は裕度の中で安全であっ
たが、津波はあるレベルを越えると即、冷却に必要なポンプの停止につながり、不確定性に対して裕度がない」

「土木学会の手法を用いた検討結果(溢水勉強会 )は、余裕が少ないと見受けられる。自然現象に対する予測においては、
不確実性がつきものであり、海水による冷却性能を担保する電動機が水で死んだら終わりである」「どのくらいの裕度が必
要かも含め検討をお願いしたい」

「バックチェックでは結果のみならず、保安院はその対応策についても確認する。今回は、保安院としての要望であり、この
場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」

武黒氏は、保安院の要請について「必ずしもという認識ではなかった。可能であれば対応した方が良いと理解していた」と述
べた。

「武黒・吉田会談」もう一つの運命の日
武黒氏は、2009年の4月か5月に、津波想定を担当する原子力設備管理部長だった吉田昌郎氏から、15.7mの津波予測を
初めて聞いたと証言した。この場面で武黒氏が何を考えたのか、石田弁護士は何度も質問して迫った。

石田  「現実に津波が襲来したらどんな事態になるか考えられましたか」
「もし来るとなれば、福島第一の状況はどのようになるんでしょうか」

水に浸かったとしても、原発の機能が保たれるなら問題はない。しかし、武黒氏は、津波が敷地に浸水すれば全電源喪失に
至る危険性を知っていた。吉田氏から示された浸水予測が、どんな事故につながるのか、イメージできたのだ。武藤氏より明
確に見えていたのではないだろうか。

武黒氏は「溢水勉強会は、無限の時間を仮定している。ダイナミックな津波の動きは仮定していない」「そういう議論はありませ
んでした」などと答えたが、原発の技術者として、その日、何を直感したか、
大事な返答をしなかった、ためらったように見えた。

吉田部長から津波想定を土木学会で検討してもらうのに「年オーダーでかかる」と聞いたとも述べた。

石田弁護士は、武黒氏が検察官の聴取に「少し時間がかかりすぎるとは思いました」と述べていたのではないか確認すると、
「時間がかかるなとは申しました」と答えた。

この日、福島第一の津波に対する脆弱性と、政府の津波予測、二つの情報が重なりあった。事故リスクははっきり見えたはず
だ。武黒氏は、この日、指示を出すことができた。日本原電東海第二のように、こっそり長期評価への対策を進めることや、
中部電力浜岡原発のように、ドライサイトにこだわらない浸水対策を実施することも出来た。実際、武黒氏は「女川や東海は
どうなっているのか」と、他社の動向を気にしていた(2009年2月の御前会議)。

しかし、福島第一では何も対策を進めなかった。「土木学会で3年ぐらいかけて議論してもらう」という方針を認めたのだ。それは
他の電力会社は選ばなかった方法だった。

2008年7月31日「ちゃぶ台返し」の日と並んで、2009年の4月か5月、日付が特定されていないこの日も、福島第一の運命にとっ
て重要な日だったように思われる。

責任者が隠された「大きな流れ」
武黒氏は、勝俣元会長らが出席することから「御前会議」と呼ばれていた「中越沖地震対応会議」について、「情報共有の会合
であり、意思決定の場ではない」と何度も強調した。これは武藤氏と同様だった。

しかし、注目される発言もあった。御前会議の位置づけについて、「大きな流れが、結果として出来上がってくることもあります」
と説明したのだ。2008年2月の御前会議で、津波想定を担当する部門は、地震本部の長期評価を取り入れて津波対応をする
と書いた資料を提出した。それに対し、幹部らから特に異議が無かった。報告者はそれを「承認された」ととらえていたのでは
ないだろうか。

津波想定に限らず、これが東電の原子力における意思決定の実態だったのではないかと推測される。異議がなければ承認
されたものとして、前に進められる。東電として「大きな流れ」が作られる。しかし、いざ問題が生じた時、会議の場にいた責任
者は、「報告を受けただけで、承認したわけではない」と責任回避の言い逃れが出来る仕組みだ。

バックチェック7年先延ばし、誰が意思決定?
武黒氏、武藤氏の本人質問を傍聴した後でも、二点、良くわからないことが残った。

一つは、耐震バックチェック中間報告を福島県に報告する際(2008年3月)の想定QA集(*5)はどのように作られて、誰が承認
したのかという点だ。

このQA集には、「過去に三陸沖や房総半島沖の日本海溝沿いで発生したような津波(マグニチュード8以上のもの)は、福島県
沖では発生していないが、地震調査研究推進本部は、同様の津波が福島県沖や茨城県沖でも発生するというもの。この知見を
今回の安全性評価において、「不確かさの考慮」という位置づけで考慮する計画」(SA7-1-7)と書かれていた。

対外的なQAは、会社の方針を明らかにする文書であることから、多くの会社では、かなりの上層部の決裁が必要となる。東電
では、この手続が無かったのだろうか。武黒氏はQA集に書かれているような長期評価の取り扱いについて東電として決定した
ことは「ありません」と述べた。それでは一体誰が、このQA集
の記述を認めたのだろう。

もう一つは、耐震バックチェックを先延ばしすることについて、経営幹部はどう判断していたのかわからないことだ。福島第一原
発の耐震バックチェック最終報告は、当初は2009年6月だった。ところが2009年2月の御前会議資料では「2012年11月」とされ、
「他電力最終報告時期(2010年11月)より2年程度の遅れ」とも書かれていた。

武黒氏は「当時(2009年2月ごろ)の認識として、あと3年で終えられるかどうか自信を持って見通せる時期ではなかった」と述べた。

さらに、2011年2月6日の御前会議に提出された資料では「2016年3月となる見通し」と書かれている。

現在運転中の原発について、安全確認の期限を先延ばしする。そんな重大な事項について、いったい誰がどのように承認したの
か、武黒氏、武藤氏の本人質問からはわからなかった。

もしかするとバックチェック先送りも、現場からの報告が、なんとなく「大きな流れ」となって、特段の承認もなく、既成事実化されて
いたとでも言うのだろうか。

「安全確認を当初より7年も遅らせる」ことを、誰が責任を持って認めたのか、最高責任者が説明出来ない。それは原発を運転す
る会社としては信じられない。

公害企業の決まり文句「不確実なことに対応するのは難しい」
「わからないこと、あいまいなこと、不確実な事柄への対応は難しい」
「その当時わかっていたこと、当時わからなかったことの間に乖離(かいり)があった」

津波の予測に不確実性があったから対応が難しかったと武黒氏は主張した。これは、過去の公害企業が責任逃れに科学的な
不確実さを持ち出す構図とそっくりだ。

水俣病を引き起こしたチッソは、裁判でこう主張していた。

「本件水俣病発生当時においては、アセトアルデヒド製造工程中に水俣病の原因となるメチル水銀化合物が生成することは、被
告はもとより化学工業の業界・学界においても到底これを認識することがなかった」

これについて、宮本憲一氏は『戦後日本公害史論』で、以下のように述べている。

「(研究者間で)内部の意見の対立があったかなどを例にして、チッソ自らの予見不可能性や対策の失敗をあたかも科学的解明
の困難にあったかのように責任を転嫁している。(中略)科学論争に巻き込もうとしているのだ」(*6)

地震学はまだ発展の途上にあるため、津波の予測にともなう科学的不確実さは、いつまで先送りしても無くなることはない。原発
を安全に運転するためには、不確実さを適切に考慮して余裕を持って対処する必要がある。

武黒氏は1990年代後半から、電事連総合部会で、不確実さを巡る議論を聞いていたと思われる。他の電力
会社は、建屋の水密化を進めるなど対策を進めていた。何もしなかったのは東電だけだった。
耐震バックチェックを大幅に先延ばししようとしていたのも、東電だけだった。

武黒氏は「私としては懸命に任務を果たしてきた」と述べたが、他の電力会社と比べると、東電の津波対策は明らかに劣っていたの
である。
______________
*1 国会事故調 参考資料 p.41〜46
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/pdf/naiic_sankou.pdf

*2 「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」及び「地域防災計画における津波対策の手引き」国土庁・農林水産省
構造改善局・農林水産省水産庁・運輸省・気象庁・建設省・消防庁 1998年3月

*3 故・阿部勝征・東大名誉教授と首藤伸夫・東北大名誉教授

*4 2006年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの記録(電事連作成)

*5 福島第一/第二原子力発電所「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改訂に伴う耐震安全性評価(中間報告)
QA集 東電株主代表訴訟 丙88号証

*6 宮本憲一『戦後日本公害史論』岩波書店(2014) p.301

刑事裁判傍聴記:第31回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/10/31.html
「Integrity(真摯さ)」を大切にしていた?

10月17日の第31回公判は、前日に引き続き武藤栄・元副社長の被告人質問だった。(今回の傍聴記では、
30回、31回の2回の中で出てきた話が混在していることをお断りしておく)。
武藤氏は「ISQO」(アイ・エス・キュー・オー)という言葉をたびたび持ち出して、自分の判断が正しかった
と説明していた。

武藤氏によると、

Integrity(誠実さ、正直さ)
Safety(安全)
Quality(品質)
Output(成果)

の頭文字をつなげたのが「ISQO」。それを仕事では心がけていたのだそうだ。そして「Integrityに最も重きを
置いていた、Outputは最後についてくるもので優先させてはいけない」と何度も強調した。

具体例として、発電所から「稼働率の明確な目標を示して欲しい」と声が上がったときに、数値目標をかかげ
ることを自分の判断で却下した事例を武藤氏は法廷で紹介した。「Outputを目指すとどこかで勘違いする人
がいるので認めませんでした」のだという。

経営の分野において有名なピーター・ドラッカーの『現代の経営』で、上田惇生氏はintegrityを「真摯(しんし)さ」
と訳している。

真摯さに欠ける者は、いかに知識があり才気があり仕事ができようとも、組織を腐敗させる。(『現代の経営』
から)

「原発止めると大変な影響」
武藤氏は、原発を止めるのが、いかに「大ごと」なのか、以下のように説明した。

原発は東電の電力の4割近くを生み出す大きな電源なので、止めるとなれば代替を探してこなければならない。

火力しかない。その燃料を確保しなければならない。燃料を輸送する手当も必要だ。燃料費も一年に何千億円
もかかる。火力は原子力より1kWhあたり10円ぐらい高くつくから、柏崎刈羽原発のように500億kWh生み出す原
発を止めると、年に5000億円燃料代が余計にかかる。

そのお金を借りるなど、手当しなければならない。収支を企画や経理にも検討してもらう必要がある。
顧客に負担してもらうことになれば、料金部門にも考えてもらうことになる。

送電線の中を電気が流れる「潮流」も大きく変わるので、電力系統の運用をやっている部門にも、系統の信頼性
や安定性にどういう影響があるか見てもらわないといけない。

火力発電所を増やすと、二酸化炭素の排出が増えるので、その排出権の手当をする必要がある。

日本全体の3分の1が東電。東電の原発から電気を送っている東北電力など他の電力会社でも検討してもらわ
ないといけない。また、東電が原発を止めるとなると、他社の原発は止めなくても大丈夫なのかともなる。それへ
の対応も検討してもらうことになる。

地元の自治体、資源エネルギー庁、原子力安全・保安院や原子力安全委員会にも説明して理解を得る必要が
ある。

だから「大変多くの部門に協力してもらわないといけない」とし、「止めることの根拠、必要性を説明することが
必要です」と強調した。

この説明からは、Outputへの影響が多大だから、津波のリスクが確実でないと原発は止められないと武藤氏は
考えていたように聞こえた。稼働率という数字を確保すること(Output)を、IntegrityやSafetyより上位に置いて
いたのではないだろうか。

本当のISQOに従えば、原発が事故を起こしたときの被害の大きさを考えると、津波予測に不確実な部分が残
っていたとしても、その不確実さを潰すのに何年も費やすより、早めに予防的に対処するのが、真摯で安全な
経営判断だったのではないだろうか。

最も安全意識の低かった東電
武藤氏は「地震本部の長期評価に、土木学会手法を覆して否定する知見は無かった」とも述べた。しかし反対に、
土木学会手法に、長期評価を完全に否定できる根拠も無かった。

「土木学会手法は、そこ(福島沖)に波源を置かなくても安全なんだという民間規格になっていた。それと違う評価
があったからと言って、それをとりこむことはできません」

武藤氏のこの陳述は、事実と異なる。他の電力会社は、土木学会手法が定めている波源以外も、津波想定に
取り込んでいた。

東北電力は、土木学会手法にない貞観地震の波源を取り入れて津波高さを検討し、バックチェックの報告を作成
していた。
中部電力は、南海トラフで土木学会手法を超える津波が起きる可能性を保安院から示され、敷地に侵入した津波
への対策も進めていた。
日本原電は、東電が先送りした長期評価の波源にもとづく津波対策を進めていた。原電は「土木学会に検討して
もらってからでないと対策に着手出来ない」と考えていなかったのだ。

「津波がこれまで起きていないところで発生すると考えるのは難しい」と武藤氏は述べた。これも間違っている。

2007年度には、福島第一原発から5キロの地点(浪江町請戸)で、土木学会手法による東電の想定を大きく超え
る津波の痕跡を、東北大学が見つけていた。土木学会手法の波源設定(2002)では説明できない大津波が、貞
観津波(869年)など過去4千年間に5回も起きていた確実な証拠が、すでにあったのである。

土木学会が完全なものとは考えていなかった他社は、どんどん研究成果を取り入れて新しい波源を設定し、津
波想定を更新していた。東電だけがそれをしなかった。Safetyのレベルは、電力会社の中で、東電が最も低か
ったことがわかる。

時間をかけて議論しても「安全」なのか
 「知見と言ってもいろいろある。簡単に取り入れられるかどうかわからない」「現在でも社会通念上安全で、安全
の積み増し、良いことをするのだから」

武藤氏はこのように、バックチェックに時間をかけても良いとも主張した。

確かに、新たな知見にもとづく津波を原発でも想定すべきかどうか確かめるのに、ある程度の時間は必要かも
しれない。
しかし、長期評価の津波予測については、東電は2002年8月に検討を要請されていた。それを事故が起きる2011
年3月まで9年近く、ほぼ対策を取らないままの状態で、運転を続けていた。

原発が最新知見に照らし合わせても安全かどうか、運転しながらの確認作業について、規制当局は2006年当時、
「2年から2年半以内で」と念押ししていた。なぜなら、安全を確認している期間中は、原発の安全性が保たれてい
るという保証がないからだ。

しかし東電は、土木学会手法を超える津波の予測が次々と報告されていたにもかかわらず

「確率論的な方法で検討する」(2002年)
「土木学会で検討してもらう」(2008年)
「津波堆積物を自分たちで掘って確認する」(2009年)

など、いろいろな言い訳を持ち出して、想定見直し・対策着手を先延ばしし続けていた。

「記憶に無い」「読んでない」「説明を受けてない」の真摯さ
そういうことを考えながら傍聴していたので、「記憶にない」「説明を受けてない」「読んでない」と、自分の主張と
矛盾する証拠類を否定し続ける武藤氏がIntegrityという単語を持ち出すたびに、「またか」と苦笑せざるをえな
かった。

(第30回、31回公判の武藤被告人の傍聴記は、『AERA』2018年10月29日号[22日発売]にも2ページの記事を
書いています。そちらもあわせてご覧ください)

刑事裁判傍聴記:第30回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/10/30.html
武藤氏、「ちゃぶ台返し」を強く否定

「だから、この話は私は聞いていません」
「私のところに来るようなことではないです」
「それはありません」

被告人の武藤栄氏は、強い口調で質問を否定し続けた。

10月16日の第30回公判から、被告人質問が始まった。トップバッターは、津波対策のカギを握っていたとされる武藤
・東電元副社長だ。

2008年2月から3月にかけて、勝俣恒久・元会長ら被告人が出席した会合で津波対策はいったん了承されていたのに、
同年7月に武藤氏が先送りした(いわゆる「ちゃぶ台返し」)と検察官側は主張。それを裏付ける東電社員らの証言や、
会合の議事録、電子メールなどが、これまでの29回の公判で繰り返し示されてきた。ところが武藤氏は「先送りと言わ
れるのは大変に心外」と、それらを全面的に否定したのだ。

「山下さんがなぜそんなことを言ったか、わからない」
第24回公判(9月5日)では、耐震バックチェックを統括していた東電・新潟県中越沖地震対策センターの山下和彦
氏が検察に供述していた内容が明らかにされた。

それによると、勝俣氏ら経営陣は、地震本部が「福島沖でも起きうる」と2002年に予測した津波地震への対策を進
めることを、2008年2月の「御前会議」(中越沖地震対応打ち合わせ)、同年3月の常務会で、了承していた。

ところが、これらの会合の内容、決定事項について、山下氏の供述を武藤氏は認めなかった。

「山下さんがどうしてそういう供述をしたのかわからない」
「山下さんの調書は他にも違うところがある」

と、山下調書を否定する発言を繰り返した。

公判後の記者会見で、被害者参加代理人の甫守一樹弁護士は「山下センター長には嘘をつくメリットは何もない」と説
明した。一方で武藤氏は、山下氏の証言を否定しないと、先送りの責任を問われることになる。そして、武藤氏は山下
調書を否定できる客観的な証拠を挙げることは出来なかったように見えた。

「土木学会手法で安全は保たれていた」のウソ
私が傍聴していて気になったのは、武藤氏が土木学会のまとめた津波想定方法(土木学会手法、2002)を

「我が国のベストな手法」
「土木学会の方法で安全性を確認してきた」
「現状(土木学会手法による想定)でも安全性は社会通念上保たれていた」

などと評価していたことだ。

これは、事実と異なる。土木学会の津波想定方法で、原発の安全が保たれているのか規制当局が確認したことは一度
も無い。武藤氏が言うように「社会通念上安全が保たれている」とする根拠は何も無かった。たまたま、2011年3月11日
まで津波による事故が起きなかっただけのことだ。
2002年に土木学会手法が発表されたとき、保安院の担当者は以下のように述べていた。

本件は民間規準であり指針ではないため、バックチェック指示は国からは出さない。耐震指針改訂時、津波も含まれると
思われ、その段階で正式なバックチェックとなるだろう。(東電・酒井俊朗氏が2002年2月4日に他の電力会社に送った電
子メールから)(*1)

当時、すでに耐震指針の改訂作業が始まっており、それがまとまり次第、土木学会の津波想定方法が妥当かどうか調べ
ると保安院は言っていたのだ。保安院の担当者は、まさかバックチェックが9年後の2011年になっても終わっていないとは
想像していなかったに違いない。

土木学会手法と地震本部の長期評価は同じ2002年に発表された。同じころの科学的知見をもとに、土木学会手法は福島
沖では津波地震は起きないと想定し、一方で地震本部は福島沖でも発生しうると考えた。


土木学会手法(2002)が
想定した津波の波源域
両者の想定の違いについて、武藤氏は「地震本部の長期評価に信頼性はない」と断じた。しかし、その根拠は無かった。
土木学会がアンケートしたら、地震本部の考え方を支持する専門家の方が多かったこともそれを裏付けていた。

 第29回公判(10月5日)で明らかにされたように、保安院は土木学会手法による津波想定に余裕がないことにも気づいて
いた。土木学会の想定を1.5倍程度に引き上げ、電源など最低限の設備を守る対策を進める計画もあった。土木学会手法
で原発の安全性が保たれているとは、保安院も考えていなかったのだ。
______________

*1  H14年当時の対応 電事連原子力部が保安院に送ったメールの添付文書 原子力規制委員会の開示文書
https://www.dropbox.com/s/im1azl4eouh3e94/H14%E5%B9%B4%E5%BD%93%E6%99%82%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C.pdf?dl=0

刑事裁判傍聴記:第29回公判(添田孝史) https://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/10/hp-10329-1-2002-2004-iaea2005810-20174.html
東電の無策を許した保安院

10月3日の第29回公判には、現役の原子力規制庁職員、名倉繁樹氏(*1)が東電側の証人として登場した。事故前は、
原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課で安全審査官として、福島第一の安全審査を担当していた。

最初に、東電側弁護士の質問に答える形で、土木学会の津波評価技術(土木学会手法)が優れた手法だ、「三陸沖から
房総沖のどこでも津波地震がおきる」と予測した地震本部の長期評価(2002)の成熟度は低かったと、名倉氏は繰り返し
述べた。国が訴えられている裁判で国が主張している内容をなぞっているだけで、新味はなかった。

一方、興味深かったのは、検察側が名倉氏とのやりとりで明らかにした事故前の保安院の動きだ。2004年にインドの原発が
津波で被害を受けたことをきっかけに、保安院は津波に危機感を高めていた様子がわかった。名倉氏の上司は、対策をとら
せようと電力会社と激しく議論していた。しかし、その危機感は事故前には薄れてしまい、対策はとられないままだった。

国際原子力機関(IAEA)が2005年8月にインドのマドラス原発で開いた津波ワークショプ。日本からは、地元インドに次ぐ10人
が参加。これを契機に、国内でも津波対策の検討が本格化した。

名倉氏、事実と異なる証言の「前科」
最初に言っておくと、私は名倉氏の証言をあまり信用できない。横浜地裁で2017年4月に名倉氏が証言(*2)したとき、事実
と異なることを述べていた過去があるからだ。

横浜地裁で、名倉氏はこんな証言をしていた。

国側代理人「長期評価の見解を前提にした試算を、2002年あるいは2006年、2009年の段階で、保安院自らが算出したりとか、
東電に算出するよう求めることはできなかったんですか」
名倉「はい」

この「はい」は間違っている。2002年に保安院は東電に算出を求めていた。今年1月、千葉地裁で進められている集団訴訟で、
東電社員が社内に送った電子メールが証拠として提出され、明らかになった(*3)

これによると2002年8月に、保安院の審査担当者は、「長期評価にもとづいて福島から茨城沖でも津波地震を計算するべきだ」
と東電に要請。社員はこれに「40分間くらい抵抗した」。その後、確率論で対応すると東電は返答し、実質何もしないまま、津波
対策を引き延ばした。

東電で津波想定を担当していた高尾誠氏(第5〜7回証人)は、「津波対応については2002年ごろに国からの検討要請があり、
結論を引き延ばしてきた経緯もある」と2008年に他の電力会社に説明していた。その文書も、今年7月に開示されている(*4)

津波の確率論的ハザード評価についても、刑事裁判の公判で名倉氏は「まだ研究開発段階だった」として、規制には取り込
まれていなかったと証言した。しかし、2002年段階で、保安院は、東電が津波地震への対応を確率論で進めることを許してい
た。確率論を事実上、規制に導入していたのだ。これについても、名倉証言と、保安院の実態は矛盾している。

「津波に余裕が無い」保安院は危機感を持っていた。
検察官役の神山啓史弁護士は、以下のような文書を示しながら、事故前の保安院の動きについて名倉氏に質問を重ねた。

1) 2006年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの記録(電事連作
成)(*5)
2) 2007年4月4日、津波バックチェックに関する保安院打ち合わせ議事メモ(電事連作成)。出席者は、保安院・原子力発
電安全審査課の小野祐二・審査班長、名倉氏、電事連、東電の安全・設備・土木、3分野それぞれの担当者。
3) 小野・審査班長が後任者に残した引き継ぎメモ

1)によると、名倉氏の上司である川原修司・耐震安全審査室長は、各電力会社の担当者に以下のように述べていた。
(川原氏は、2002年に東電に津波を計算するよう要請しながら東電の抵抗に負けてしまった、その本人)。

「バックチェックでは結果のみならず、保安院はその対応策についても確認する。自然現象であり、設計想定を超えることも
あり得ると考えるべき。津波に余裕が少ないプラントは具体的、物理的対応を取ってほしい。津波について、津波高さと敷地
高さが数十cmとあまり変わらないサイトがある。評価上OKであるが、自然現象であり、設計想定を超える津波が来る恐れが
ある。想定を上回る場合、非常用海水ポンプが機能喪失し、そのまま炉心損傷になるため安全余裕がない。今回は、保安
院としての要望であり、この場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」

この時、小野審査班長も、以下のように述べていた。

「自然現象は想定を超えないとは言い難いのは、女川の地震の例(*6)からもわかること。地震の場合は裕度の中で安全
であったが、津波はあるレベルを越えると即、冷却に必要なポンプの停止につながり、不確定性に対して裕度がない」
「土木学会の手法を用いた検討結果(溢水勉強会(*7))は、余裕が少ないと見受けられる。自然現象に対する予測におい
ては、不確実性がつきものであり、海水による冷却性能を担保する電動機が水で死んだら終わりである」
「バックチェックの工程が長すぎる。全体として2年、2年半、長くて3年である」(地質調査含む)

名倉氏の上司「津波対策巡り、電力会社と激しく議論」
名倉氏は、小野氏について「事業者との間で、基準津波に対してどれぐらい余裕があればいいか、激しい議論をしていました。
水位に対して何倍とるべきだとか、延々と議論していたと思います。(具体的な対応をしない事業者に)苛立ちがあったと思い
ます」と陳述した。

2)
によると、小野氏はこう述べていた。
「津波バックチェックでは、設計値を超えた場合、どれぐらい超えれば何が起きるか。想定外の水位に対して起きる事象に
応じた裕度の確保が必要」
「1mの余裕で十分と言えるのか。土木学会手法を1m以上超える津波が絶対に来ないと言えるのか」

この会合では、「3月の安全情報検討会でも、対策をとるべきだと厳しい意見が出た」という発言があったことも残されてい
(*8)

名倉氏によると、このときも小野氏は「事業者とかなりはげしくやりとりしていた」。

小野氏は、後任者に残した3)の引き継ぎメモで、

「津波高さ評価に設備の余裕がほとんどないプラント(福島第一、東海第二)なども多く、一定の裕度を確保するように議論
してきたが、電力において前向きの対応を得られなかった」
「耐震バックチェックでとりこみ対応することとなった」

などと書き残していた。

電力会社に対策を迫っていた小野氏の姿勢について神山弁護士に問われ「バックチェックルールとの関係から、基準津波
を超えるものに対する確認は難しい」と名倉氏は冷ややかな評価をした。国が訴えられている訴訟との関係からそう答えざ
るをえなかったのか、それとも上司らの津波に対する危機感が伝わっていなかったのか、どちらかはわからない。

溢水勉強会の検討をもとに、保安院は土木学会手法の1.5倍程度の津波高さを想定して、必要な対策を2010年度までに実
施する予定を2006年ごろにはまとめていた。小野班長の厳しい姿勢の背景にはそれがあったのだろう。ところが津波への
対策を単独で進めるはずだったのが、耐震バックチェックと一緒に、それに紛れ込ませて実施されることになった。理由は
不明だ。そのため、当初予定していた締切「2010年度」は、達成されなかった。

「不作為を問われる」とまで考えていた津波対策を、耐震バックチェックに委ね、遅らせてしまったのは、保安院の大きな失
策だ。しかし、このテーマはほとんど検証されていない。保安院が2006年ごろ持っていた津波に対する危機感は、なぜかき
消されてしまったのか。今回、刑事裁判で示された文書が、検証の足がかりになるだろう。

浜岡原発は、土木学会手法超えた津波を想定。対策を進めた
2009年8月に名倉氏と東電・酒井俊朗氏、高尾氏、金戸俊道氏らが面談した記録には、浜岡原発の津波対応が記されてい
た。浜岡原発では、JNES(原子力安全基盤機構)がクロスチェックした結果、中部電力の津波想定結果を大きく上回る結果
となり、保安院はそれへの対応を求めていたことがわかった。

JNESは、南海トラフで起きる津波について、土木学会手法を超える規模を想定していた。「体系的に評価する手法として、
土木学会のものしかありませんでした」という名倉氏の証言とは矛盾する。浜岡以外にも、東北電力による貞観地震の想
定(2010年)、東海第二が地震本部の長期評価にもとづく波源を想定(2008年)など、土木学会の想定を上回る津波波源
を想定することは、事故前にも、あたりまえのように実施されていた。

さらに、保安院はJNESの計算結果をもとに、津波が防潮堤を超えた場合でも対応できる総合的な対策を指導。中部電力
は、敷地に遡上した場合に備え、建屋やダクト等の開口部からの浸水対応を進め、ポンプ水密化、ポンプ回りの防水壁設
置などを検討していた。

バックチェックは、なぜ遅れたのか
東電は、福島第一のバックチェックを当初は2009年6月までに終える予定だった。それが事故当時は、2016年まで先延ばし
するつもりだった。

前述したように、2006年のバックチェック開始当時、保安院は「バックチェックの工程が長すぎる。全体として2年、2年半、
長くて3年である」(地質調査含む)と電力会社に伝えていた。ところが2007年7月の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が
想定外の震度7に襲われたことか
ら、まずは中間報告を2008年3月に提出することになった。

名倉氏は「中間報告を出すことになり、全体の工程が見えなくなった。中間報告の確認作業で精一杯になった」「中間報告
が一時期に集中することになり、下請けのマンパワーにも限りがあるので、最終報告が速やかに提出できなくなった」と説
明した。

名倉氏の説明は、実態を表しているのだろうか。福島第一は、新潟県中越沖地震と同じようなタイプの地震が起きても揺れ
は比較的小さいため、最終報告への影響が小さいことを2008年9月の段階で東電は確かめていた。「バックチェック工程の
遅れを対外的に説明する際、解析のマンパワー不足についても触れるが、それがメインの理由になってはいけない。これ
まで嘘をついてきたことになってしまう」(小森明生・福島第一所長)という発言が残っている(*9)

名倉氏自身も、2009年7月14日に、保安院の審議会委員に、こんなメールを送っていた(*10)

■■先生
返信ありがとうございます。
東京電力が秋以降に提出する本報告に可能な限り知見を反映するよう指導していきます。

この文面からは、東電の本報告は2009年秋以降のそう遠くない時期に提出することが予定されていたように見える。

バックチェック最終報告の提出は、どんな意思決定過程で、ずるずると引き延ばされたのか。より詳しい検証が必要だろう。

東電に舐められていた保安院
被告人の武藤栄氏の指示で、バックチェックを先延ばしするため、東電の高尾氏らは保安院でバックチェックを審議する委
員の専門家を個別に訪問して、根回しをした。東電が保安院の審議会委員に接触していたことについて、名倉氏は以下の
ように証言した。

「審査する側の専門家に、評価方針そのものについて聞いて回ることは、心中穏やかでなかった部分があった」

東電の山下和彦・中越沖地震対策センター所長は、検察の調べに以下のように述べていた。

山下 「バックチェックには最新の知見を取り込むことが前提になっているので、後日取り込むときめたところで委員や保安
院が納得しない可能性があった。武藤は、その可能性を排除するために、有力な学者に了解をえておくように根回しを指
示した。武藤は委員と命令したかは定かではないが、委員以外の先生に根回ししても意味がなく、委員の了解を得ないと
いけないので、委員を指していた」
検察 「保安院の職員の意見は?」
山下 「保安院は、委員の判断に従ってくれると考えていた」(*11)

審議会の委員に根回しすれば、保安院自身では文句をつけてこない。そんなふうに、東電は保安院をすっかり舐めていた
のである。小野氏が電力会社と激しい議論をしていたころの保安院の迫力は、そこには感じられない。

東電は、豊富な資金力と人手で、じゅうたん爆撃的に専門家の根回しを進め、津波対策の方針が公開の審議会で検討さ
れる前に、自分たちの思い通りに変えてしまっていたのだ。
______________

*1 名倉氏は、工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社。原発の構造や設計手法の研究開発などをしていた。2002年4月
から2006年3月まで原子力安全委員会事務局の技術参与として耐震設計審査指針の改訂作業に携わっていた。2006年4月
に保安院の安全審査官になり、福島第一原発の耐震バックチェックを担当。原子力規制庁発足後は、安全規制管理官とし
て安全審査を担当している。(国が訴えられている裁判に名倉氏が提出した陳述書から)

*2 福島原発かながわ訴訟 神奈川県への避難者とその家族61世帯174人が、国と東電に慰謝料を求めて2013年9月に
集団訴訟を起こした裁判で、名倉氏が証言した。

*3 東電の津波対策拒否に新証拠 原発事故の9年前「40分くらい抵抗」 2018年1月30日 AERA

*4 「津波対応、引き延ばした」東電、事故3年前に他電力に説明 2018年8月1日 Level7

*5 文書の一部は国会事故調報告書p.86で引用されていた。原典が明らかになったのは初めて。私も初めて見た。

*6 2005年8月に発生した宮城県沖地震の揺れは、一部の周期で女川原発の基準地震動を超えた。

*7 2004年にインド・マドラス原発が津波で緊急停止したトラブルをきっかけに、保安院とJNESが2006年1月に溢水勉強会
が設けた。
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/06/240604-1.html
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/05/240517-4.html

ここでまとめられた「内部溢水及び外部溢水の今後の検討方針(案)」(2006年6月29日)には以下のように記されていた。

◯土木学会手法による津波高さ評価がどの程度の保守性を有しているか確認する。
◯土木学会手法による津波高さの1.5倍程度(例えば、一律の設定ではなく、電力会社が地域特性を考慮して独自に設定
する。)を想定し、
必要な対策を検討し、順次措置を講じていくこととする(AM対策=アクシデント・マネージメント対策=との位置づけ)
◯対策は、地域特性を踏まえ、ハード、ソフトのいずれも可
◯最低限、どの設備を死守するのか。
◯対策を講じる場合、耐震指針改訂に伴う地盤調査を各社が開始し始めているが、その対応事項の中に潜りこませれば、
本件単独の対外的な説明が不要となるのではないか。そうであれば、2年以内の対応となるのではないか。

*8 安全情報検討会とは、国内外の原発トラブル情報などをもとに、原発のリスクについて議論する場。2006年9月13日
の第54回安全情報検討会には、保安院の審議官らが出席。津波問題の緊急度及び重要度について「我が国の全プラント
で対策状況を確認する。必要ならば対策を立てるように指示する。そうでないと「不作為」を問われる可能性がある」と報告
されている。

*9 耐震バックチェック説明会(福島第一)議事メモ 2008年9月10日

*10 原子力規制委員会の開示文書 原規規発第18042710号(2018年4月27日)

*11 山下和彦氏の検察官面前調書の要旨 甲B58(平成25年1月28日付検面調書)

刑事裁判傍聴記:第28回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/10/28.html
防潮壁で浸水は防げた? 証言変えた今村・東北大教授

10月2日の第28回公判には、今村文彦・東北大教授が再び証人に立った(前回は第15回、6月12日)。検察官側が今村教授に
依頼した津波シミュレーションの結果が、明らかにされた。

原子炉建屋などが建つ海抜10mの敷地(10m盤)の上に高さ10m(海抜20m)の防潮壁を、敷地の海側を全てカバーするように
建設する。そこに東北地方太平洋沖地震の津波が襲来したら、どの程度浸水するのか。シミュレーションは、これを確かめるの
が目的だった。

今村教授は、計算によると、この防潮壁があれば50センチ以下程度の浸水に抑えられるので、施設に大きな影響は無いと考え
られると証言した。事故は防げたのだ。

一方で、今村教授は、シミュレーションの前提となっているように海側に長い防潮壁をつくることは合理的でない、とも証言した。
今村教授は前回の公判では、地震本部の予測に従って15.7mの津波を想定すれば、海側に切れ目なく長い防潮壁を設置する
ことになり、それがあれば、東日本大震災の津波も「かなり止められただろう」と述べていた。4か月前の証言を、今回覆したこと
になる。

15.7m津波の対策をしていたら、事故は防げたのか。あるいは防げなかったのか。出廷するたびに変わる今村教授の証言に、
傍聴者には腑に落ちない点が残ったように思えた。

「10m防潮壁で事故は防げた」検察のシミュレーション
検察官役の久保内浩嗣弁護士が、シミュレーションの内容について、今村教授に尋ねる形で進められた。敷地上の建屋などを
考慮して、もっとも細かいところでは2mメッシュの精密なシミュレーションを実施。その結果、10m盤の上に高さ10mの防潮壁が
全面に設けてあれば、敷地南側の隅角部で津波が瞬間的に跳ね上がって防潮壁を越える程度で、建屋周辺への浸水は50セン
チ以下に抑えられ、施設への影響は小さいことが明らかになった。

これまで、刑事裁判では東電が作成した津波モデル「L67モデル」を用い、東電子会社の東電設計が計算して、浸水の状況を
検討してきた。今回は、L67より波形の精度が高い津波モデル(今村教授らが2016年に発表(*1))で計算したのが特徴だ。

「敷地全部には防潮壁不要」今村教授、証言を覆す
検察側のシミュレーションは、敷地の海側を、すっぽりカバーするように防潮壁を築くことが前提になっている。一方、弁護側は、
15.7mの津波対策に、こんな長い防潮壁は不要で、「北側、南側など一部だけに作ることになったはずだ」と、「くし歯防潮壁」を
主張していた。その場合、東北地方太平洋沖地震の津波は防ぎきれず、広範囲に浸水する(第4回公判)。

それについて、今村教授は6月の証言では「全面に必要」と述べ、「くし歯説」を否定していた。検察官役の久保内弁護士との間
で、以下のようなやりとりがされていた。

久保内「福島第一原発の全体の見取図に、ベストな防潮堤の設置位置を、赤ペンで記入してください」
(今村教授、図のように書き入れる)

今村教授が6月の公判で「ベストな防潮堤の設置位置」として
書き込んだ場所(赤ペン)。海渡弁護士による再現。

久保内「ご記入いただいたベストな防潮堤を設置した場合、そこに今回の津波が来た場合、越流して浸水したかどうか、それに
ついては証人はどんなふうにお考えになりますか」

今村「まずは防波堤の南側と北側ですね、あそこに20mの防潮堤を設置していただき、かつ、いろんな建屋の前にも、これは高
さはちょっと議論なんですけれども、それを、ある程度の高さを設置いただければ、いわゆる津波の陸上からの越流は、かなり
止められたと考えています」

ところが今回の証言では、南側と北側など一部だけに設置すれば良いという考えを示した。

前回の証言で、南部と北部以外にも「ある程度の高さ」が必要な理由として、今村教授は港湾内部の共振による増幅がありうる
ことを指摘していた。今回の証言では、それを採用しなかった。その理由について、弁護側の宮村啓太弁護士と今村教授のやり
とりがあったが、いつもは明快な宮村弁護士の尋問にしてはわかりにくく、根拠も明確に示されず、すっきりしなかった。

事故は回避できなかったか。残る疑問
実際には、東電が考えていた津波対策は、今回シミュレーションしたような10m盤の上の10m防潮壁ではなかった。沖合防波堤
の設置と4m盤を取り囲む防潮壁の組み合わせや、海水ポンプや建屋の水密化などを「有機的にむすびつけること」を検討して
いた(第7回公判など)。それが施されていた場合、311の津波を防げたのか、あるいはそれでも事故は起きたのか、まだ明確に
なっていない。

また、「運転停止せずに工事を進めることができたのかどうか」は、大きな疑問として残されたままだ。

津波対策をとりまとめていた東電の中越沖地震対策センターの山下和彦所長は以下のように検察に述べていた(*2)

「10m盤を超える対策は沖に防潮堤を造ることだが、平成21年6月までに工事を完了することは到底不可能であった。工事期間
は4年かかる。最悪、バックチェックの最終報告書の提出期限を守れなかったとして、『工事が終わるまで原発を止めろ』と言われ
る。火力発電では燃料に莫大な費用がかかる。土木調査Gの提案どおりの工事では、原発をとめるリスクがある」(甲B57、平成
24年12月4日付検面調書)。

「土木学会評価で現状でも安全で、不確かさの考慮で止める必要はないという東電の考え方だったが、従来より3倍も高い水位を
示しながら、安全性を確保されているとの主張が保安院ないし安全委員会に受け入れられるのか確証はなかった。保安院やBC
の委員、地元から、工事完了までプラントを止めるよう求められる可能性があった」(甲B58、平成25年1月28日付検面調書)。

当初の予定通り、2008年から2010年にかけて対策に着工しようとすれば、それ以降の数年間かかる工事期間中、運転停止を迫ら
れていた可能性は高い。2011年当時、原発が止まって冷えた状態だったならば、津波に襲われても、ここまでの事故にはならなか
っただろう。
______________
*1 今村文彦ら 「修正された東北地方太平洋沖地震津波モデルによる福島第一原発サイトへの影響再評価」土木学会論文集
B2(海岸工学)、Vol.72,No.2,I_361-I_366,2016
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kaigan/72/2/72_I_361/_article/-char/ja/

*2 法廷で読み上げられた山下和彦氏の検察官面前調書の要旨(2018年9月5日 第24回公判期日)
https://shien-dan.org/yamashita-201809/

刑事裁判傍聴記:第27回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/09/27.html
事故からの避難が患者の命を奪った

9月19日の第27回公判は、昨日に引き続いて被害の様子を詳しく解き明かしていった。福島第一原発の爆発現場の直近にいた
東電関係者、亡くなった患者さんらを診断した医師、遺族らが、事故調報告書ではドライに描かれている情景を、一人一人の言
葉で生々しく肉付けしていった。

「流れ 込むがれき、よく誰も死ななかった」東電関係者
3月12日午後3時36分、1号機水素爆発。現場にいた3人がけがをした。

「視界がもうもうと蜃気楼のようになって、青白い炎が見えた。すさまじい爆風が襲いかかってきて、がれきが宙に浮かんで、鉄筋
が消防車のガラスを突き破り、前腕に直撃。疼痛を感じた」(消防隊所属の東電関係者。供述を検察官役の弁護士が読み上げ)

3月14日午前11時1分、3号機水素爆発。けが10人。

「コンクリートのがれきが、煙のように多数流れ込んできた。周囲を見ることも出来なくなった。タンクローリーの影に隠れたが、タイ
ヤの間から、がれきが飛んできた。破片は長い時間降り続けた。タンクローリーの爆発も怖かった。このまま死にたくないと思って
いた。一刻も早く逃げないと被曝してしまうと、歩いて免震重要棟に向かった。よく誰も死ななかったと思います」(東電関係者、供述
の読み上げ)

「国や 東電の責任ある人に、責任を取ってほしい」遺族
事故直後の混乱期の避難で、双葉病院の患者32人、ドーヴィル双葉の入所者12人が亡くなった。

「とうちゃんは、2010年5月にドーヴィル双葉に入所。2週間に1回、土曜日に会っていた。顔を合わせるとにっこりしていた。3月17日
に電話で遺体の確認をしてくださいと言われ、現実のように思えませんでした。『放射能がついているかも知れないので、棺は開け
ないで下さい』と県職員に言われた。東電や国の中で責任がある人がいれば、その人は責任を取ってほしい」(夫を亡くした女性、
供述を読み上げ)

「原発事故さえなければ、もっと生きられたのに」(両親をなくした女性、供述を読み上げ)

「シーツにくるまれただけで遺体が置かれていた。家族や親戚に看取られ、ベッドで安らかに最期を迎えさせてやりたかった。避難
している最中で亡くなったと思うとやりきれない」(遺族、供述を読み上げ)

「避難ストレス、栄養不良、脱水、ケア不良で死亡。極端な全身衰弱。これだけの避難がなければ、今回の死亡に至ることはなかっ
た」(診断した医師が検察に回答した内容)

「避難 が無ければ、すぐ亡くなる人はいなかった」医師
事故当時、双葉病院に勤務していた医師の証言もあった。
検察官役の渋村晴子弁護士が「事故による避難がなければ、すぐに命を落とす状態ではなかったですね」と尋ねると、医師は「はい」
と答えた。

医師は、長時間の移動が死を引き起こす原因を、こう説明した。

「自力で痰を出せない人は、長時間の移動で水分の補給が十分でない中で、たんの粘着度が増してくるので、痰の吸引のようなケア
を受けられないと呼吸不全を引き起こす。寝たきりの人も100人ぐらいいたが、病院では2時間ごとに体位交換をする。そんなケアが
できないと静脈血栓ができて、肺梗塞を起こして致命的な状況になる」

「避難 する前には、普段の様子でバスに乗っていった」ケアマネ
3月14日に、ドーヴィル双葉から98人の入所者をバスに載せて送り出したケアマネージャーの男性も証言した。このバスは受け入れ先
が見つからず、いわき光洋高校に到着するまで11時間以上かかった。自力歩行できない人が40人から50人おり、寝たきりの人や経管
栄養の人もいたが、医療ケアがないままの長時間移動になり、移動中や搬送先で12人が亡くなった。

「避難する時には、普段の状況でバスに乗っていかれたので、死亡することは予想できませんでした。移動すれば解放され、正直助か
ったと思いました。その後、次々亡くなる人が出てショックでした。原発事故が無ければ、そのまま施設で生活出来ていたと思います」

2227 人、突出して多い福島県の震災関連死
この日の公判では、被告人がこの裁判で責任を問われている44人の死について、それぞれの人が亡くなった状況や、遺族の思いが、
鮮明にされた。

刑事裁判では触れられていないが、原発事故がなければ死なずにすんだ人は、もっと多いと思われる。東日本大震災における震災関
連死は、福島県2227人、宮城県927人、岩手県466人で、福島が突出して多い(*1)。その原因は、東電が引き起こした原発事故にある
だろう。この裁判で争われているのは、被告人の責任のうち、ほんの一部にすぎない。
______________

*1 東日本大震災における震災関連死の死者数 復興庁 2018年3月31日現在
http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20180629_kanrenshi.pdf

刑 事裁判傍聴記:第26回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/09/26.html
事故がなければ、患者は死なずに済んだ

勝俣恒久・東電元会長ら被告人3人は、福島第一原発近くの病院などから長時間の避難を余儀なくされた患者ら44人を死亡させた
として、業務上過失致死罪で強制起訴されている。9月18日の第26回公判では、東電が引き起こした事故が、どんな形で患者らの
死とつながっているのか、検察官側が解き明かしていった。

病院の看護師は、寝たきり患者らの避難がとても難しかったと当時の状況を証言。救助に向かった自衛官や県職員、警察官らが
検察官に供述した調書も読み上げられた。

放射性物質で屋外活動がしにくくなり、通信手段も確保できない中で現地の情報が伝わらなくなっていた。そのため患者の搬送や
受け入れの救護体制が十分に築けず、患者たちが衰弱して亡くなっていく様子が証言で浮かび上がった。

地震と 津波だけなら助かった
証人は、福島第一原発から4.5キロの場所にある大熊町の双葉病院で、事故当時、副看護部長を務めていた鴨川一恵さん。同病
院で1988年から働いていたベテランだ。避難の途上で亡くなった患者について、検察官役の弁護士が「地震と津波だけなら助かっ
たか」という質問に「そうですね、病院が壊れて大変な状況でも、助けられた」と述べた。

事故当時、双葉病院には338人が入院、近くにある系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に98人入所していた(*1)。鴨川
さんは、3月12日に、比較的症状の軽い209人とバスで避難、受け入れ先のいわき市の病院で寝る間もなく看護にあたっていた。

3月14日夜、後から避難した患者ら約130人が乗っていたバスを、いわき市の高校体育館で迎えた。このバスは、病院を出発した
ものの受け入れ先が見つからず、南相馬市、福島市などを経由して、いわき市で患者を下ろす作業が始まるまで11時間以上かか
った。継続的な点滴やたんの吸引が必要な寝たきり患者が多く、せいぜい1時間程度の移送にしか耐えられないと医師が診断して
いた人たちだ。本当は、救急車などで寝かせたまま運ぶことが望まれていた。

鴨川さんは、「バスの扉を開けた瞬間に異臭がして衝撃を受けた。座ったまま亡くなっている人もいた」と証言した。バスの中で3人
が亡くなっていたが「今、息を引き取ったという顔ではなかった」。体育館に運ばれたあとも、11人が亡くなった。

高い線 量、連絡や避難困難に
福島第一3号機が爆発した3月14日に、双葉病院で患者の搬送にあたっていた自衛官の調書も読み上げられた。「どんと突き上げる
爆発、原発から白煙が上がっていた」「バスが一台も戻ってくる気配がないので、衛星電話を使わせてもらおうと、(双葉病院から約
700m離れた)オフサイトセンターに向かいました。被曝するからと、オフサイトセンターに入れてもらうことが出来ませんでした」。

オフサイトセンター付近の放射線量は、高い時は1時間あたり1mSv、建物の中でも0.1mSvを超える状態で、放射性物質が建物に入る
のを防ぐために、出入り口や窓がテープで目張りされていた。自衛官はオフサイトセンターに入ることが出来なかったため、持っていた
ノートをちぎって「患者90人、職員6人取り残されている」と書き、玄関ドアのガラスに貼り付けた。

病院からの患者の搬送作業の最中、線量計は鳴りっぱなしですぐに積算3mSvに達し、「もうだめだ、逃げろ」と自衛隊の活動が中断
された様子や、県職員らが「このままでは死んじゃう」と県内の医療機関に電話をかけ続けても受け入れ先が確保できず、バスが県
庁前で立ち往生した状況についても、供述が紹介された。

これまで、政府事故調の報告書などで、おおまかな事実関係は明らかにされていた。しかし、当事者たちの証言や供述で明らかにな
った詳細な内容は、驚きの連続だった。刑事裁判に役立つだけでなく、今後の原子力災害対応の教訓として、貴重な情報が多く含ま
れていたように思えた。
______________
*1 福島県災害対策本部の救援班は、3月17日午後4時頃、双葉病院からの救出状況について「3月14日から16日にかけて救出した
が、病院関係者は一人も残っていなかった」と発表し、報道された。このため、双葉病院の関係者は「患者を置き去りにした」と一時、
非難された。しかし、実際は院長ら関係者が残って、患者のケアや搬送の手配に奔走しており、バスに同乗して移動した病院関係者も、
ピストン輸送で病院にすぐ戻ることができると考えていた。政府事故調の最終報告書は、県の広報内容について「事実に反し、あたか
も14日以降病院関係者が一切救出に立ち会わず、病院を放棄して立ち去っていたような印象を与える不正確又は不適切な内容と言
わざるを得ないものであった」と評価している(政府事故調最終、p.241)


刑 事裁判傍聴記:第25回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/09/25.html
「福島沖は確率ゼロ」とは言えなかった
   9月7日の第25回公判の証人は、松澤暢(まつざわ・とおる)東北大学教授(地震学)だった。松澤教授は、政府の地震調査研究
推進本部(地震本部)の長期評価とはどんなものか、そして2002年の長期評価が予測した日本海溝沿いの津波地震について説明
した。

ポイントは以下のとおりだ。

1)「長期評価、それ以外に方法な い」
松澤教授は、長期評価に不確実なところがあることは認めた。一方で「わからない=ゼロとして過小評価されるより、仮置きでも
数値を出すとした地震本部の判断には賛同する」と述べた。

2)「福島沖の確率がゼロとは言え なかった」
長期評価が予測した津波地震が福島沖でも起きるかどうかについて、「日本海溝北部に比べて起こりにくいとは考えたが、絶対起こ
らないとは言い切れなかった」と話した。

3)長期評価の改訂時にも、異義は 唱えなかった
松澤教授は、福島沖の津波地震を最初に予測した2002年の長期評価策定には関わっていないが、2009年や2011年(震災前、震災
後)の改訂作業には参加していた。「そこで大きな問題点は指摘しなかった」と述べた。

松澤教授は、東北大学大学院理学研究科の教授で、大学附属の地震・噴火予知研究観測センター長も務める。地震の波形を詳しく
分析して、地震発生の過程を調 べる専門家だ。地震予知連絡会の副会長でもある。公判では、最初に弁護側の宮村啓太弁護士、
続いて検察官役の久保内浩嗣弁護士が質問した。少し詳しく見て いく。

「乱暴だが、それ以外に方法はな い。地震本部の判断に賛同する」
松澤教授は、長期評価に「不確実だ」という意見があることについて、こう説明した。
「よくわかっていること、よくわかっていないところがあったが、仮置きでもいいから数値をおいていくべきだと判断した。理学屋が黙っ
ていると、誰かが勝手 にやってしまう。わからないとして放っておけば確率ゼロ、過小評価になる。全く知らない人に判断があずけら
れる。それは正しいのか。とりあえずおすすめの 数値を、仮置きでも、仮置きと見える形で出すことが良いと判断した」と説明した。
「非常に乱暴だけど、それ以外に方法がない。地震本部が仮置きの数字を置 いた判断は賛同する」とも述べた。

「福島沖はおこりにくいが、確率は ゼロとは言えなかった」
松澤教授は、日本海溝沿いの津波地震について、2003年に論文を発表している(*1)。「津波地震」が引き起こされるためには、
プレート境界に付加体とよばれる柔らかい堆積物が必要だとする仮説に基づいていた。松澤教授はこの論文で、以下のように書
いていた。

「福島県沖の海溝近傍では、三陸沖のような厚い堆積物は見つかっておらず、もし、大規模な低周波地震が起きても、海底の大規
模な上下変動は生じにくく、結果として大きな津波は引き起こさないかもしれない」

一方で、松澤教授は、津波地震について土木学会による2008年のアンケート(*2)に以下のように答えていた。

@    三陸沖と房総沖のみで発生するという見解 0.2
A    津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さい(津波が小さい)とする見解 0.6
B    津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する 0.2

松澤教授は「福島沖でも起きる」とする見解の方に重きを置いていたのだ。
アンケートの際、松澤教授は「不確実性が大きく過去と同じ場所だけとは言い切れない」とコメントしており、法廷では「北部に比べて
福島沖では津波地震はおこりにくいが、確率ゼロではないので、このように回答した」と説明した。

長期評価の改訂時にも、津波地震の 評価に異議を唱えなかった
地震本部が2002年に発表した津波地震についての長期評価は、2009年に一部改訂された。また2011年にも改訂作業が進められて
おり、東日本大震災 前にはほぼ出来上がっていた。東日本大震災の発生で、その改訂版は没となったが、2011年11月には、今回の
地震を踏まえて第二版が公表された。

松澤教授は、地震本部の委員として改訂作業にかかわり、「(福島沖をふくむ)日本海溝沿いのどこでも起きる」とした津波地震の
評価に、異議は唱えなかっ た。そして「どこでも起きる」とする評価は、2009年、2011年の事故前、事故後、いずれの長期評価でも
変更されなかった。「我々は(地震について) まだ完全に知っているわけではない。共通性を重視してそこに組み入れた」と理由を
説明した。

「積極的に否定」も出来なかった
こんなやりとりもあった。

宮村弁護士「津波地震が福島沖でも起きると積極的に根拠付ける研究成果はあったのでしょうか」
松澤教授「なかったと思います」

福島沖ではプレートが沈み込んでいるから津波地震を起こす必要条件は満たしていた。しかし、海溝に柔らかい堆積物(付加体)が
少ないため、津波地震を発生させるモデルの条件を十分には満たしていなかったからだ。

しかし松澤教授も認めたように、「津波地震の発生に付加体が必要」というのは仮説にすぎない。「付加体が無いから福島沖では津
波地震は起きない」と断言で きるほど「強い科学的根拠」とは言えなかった。付加体が福島沖と同じように少ない房総沖で、1677年
に津波地震が発生したと考えられていた。それが付加 体の仮説では十分説明できない弱みもあった。

宮村弁護士は、「津波地震が福島沖で起きるという強い根拠は無かった」と強調したかったように見えた。しかし、逆に「極めてまれ
にも、福島沖で津波地震は起きない」と言える「強い根拠」もなかった。

2006年に改訂された耐震設計審査指針では「施設の供用期間中に極めてまれであるが発生する可能性があると想定することが
適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」と定められていた。

「極めてまれにも起きない」「だから対策はしない」と言い切る根拠を見つけることは、とても難しい。だからこそ、東電の津波想定
担当者らは対策が必須と考え、いったんは常務会でも了承されていたのだ。

2007年度には、東北大学が、福島第一原発から5キロの地点(浪江町請戸)で、東電の従来想定を大きく超える津波が、貞観津波
(869年)など過去4千 年間に5回あった痕跡を見つけていた(*3)。「大津波は福島沖では極めてまれにも起きない」として対策を
とらないことは、とうてい無理になりつつあった のだ。

______________

*1 松澤暢、内田直希「地震観測から見た東北地方太平洋下における津波地震発生の可能性」 月刊地球 Vo.25.No.5 2003 368-373

*2 土木学会津波評価部会 ロジックツリーの重みのアンケート結果(平成20年度)
http://committees.jsce.or.jp/ceofnp/system/files/Questionare_RT_PTHA_20141009_0.pdf

*3 地震本部 宮城県沖地震における重点的調査観測 平成17−21年度統括成果報告書
https://www.jishin.go.jp/database/project_report/miyagi_juten-h17_21/
これの
3.研究報告
3.3津波堆積物調査にもとづく地震発生履歴に関する研究
https://jishin.go.jp/main/chousakenkyuu/miyagi_juten/h17_21/h17-21_3_3.pdf

刑 事裁判傍聴記:第24回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/09/24.html
津波対策、いったん経営陣も了承。その後一転先延ばし

9月5日の公判では、津波対策の先送りを東電が決めた2008年当時、地震対応部署のトップだった山下和彦(やました・かずひ
こ)氏が検察に供述していた内容が明らかにされた。幹部による、これだけ貴重な証言が、事故から7年以上も隠されていたの
かと驚かされた。

重要な点は三つある。

地震本部が予測した津波への対策を進めることは、2008年2月から3月にかけて、東電経営陣も了承していた。「常務会で了承
されて
いた」と山下氏は述べていた。
いったんは全社的に進めていた津波対策を先送りしたのは、対策に数百億円かかるうえ、対策に着手しようとすれば福島第一
原発を何年も停止することを求められる可能性があり、停止による経済的な損失が莫大になるからと説明していた。
「10m級の津波は実際には発生しないと思っていた。根拠は特にないが、2007年に新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が想定
を上回る地震を経験していたので、原発の想定を上回る地震が何度も起こるとは思いつかなかった」と述べていた。
山下和彦氏は、2007年10月に新潟県中越沖地震対策センター所長に就任。柏崎刈羽原発や、福島第一、第二原発の耐震バッ
クチェックや耐震補強などの対策をとりまとめてきた。

2010年6月に、吉田昌郎氏の後任として原子力設備管理部長に就任。事故後は、福島第一対策担当部長、フェロー(技術系最
高幹部として社長を補佐する役)として事故の後始末に従事した。2016年6月にフェローを退任している。

山下氏は、当初は証人として法廷で証言すると見られていたが、健康上の理由などから出廷が不可能になったらしい。そのため、
2012年12月から2014年12月にかけて4回、山下氏が検察の聴取に答えた調書を永渕健一裁判長が証拠として採用し(*1)、この
日の公判で検察官役の渋村晴子弁護士が約2時間かけて読み上げた。

山下氏が述べた三つのポイントについて、それぞれ見ていく。

経営陣 は、常務会で津波対策を了承していた

政府の地震調査研究推進本部(地震本部)は2002年、福島沖でも大津波を引き起こす津波地震が起きると予測していた。東電で
津波想定を検討する土木調査グループの社員らは、それに備えなければならないという共通認識を持ち、対策の検討を進めてい
たことは、これまでの公判で明らかにされていた(5〜9、18、19回公判)。 
  
この日の公判でわかったのは、経営陣も、地震本部が予測した津波への対策を了承していたことだ。2008年2月16日に開かれた
「中越沖地震対応打ち合わせ」(いわゆる御前会議)に、被告人の武藤、武黒両氏や山下氏が出席。この場で、地震本部の予測
に対応する方針が了承され、それが3月11日の常務会でも認められたと山下氏は証言していた。

6月10日に、津波想定を担当する社員が想定される津波高さが15.7mになることを武藤氏に説明した会合終了時点でも、「(津波
対策を)とりこむ方針は維持されていました」と山下氏は検察官に説明していた。

運転停 止による経営悪化を恐れて、対策先送り

2008年7月31日に、武藤氏は一転して津波対策の先送りを決めた(いわゆるちゃぶ台返し)。この理由について、防潮堤建設など
数百億円の対策費用がかかることに加え、対策工事が完了するまで数年間、原子炉を止めることを要求されることを危惧した、
と山下氏は説明。以下のように語っていた。

「当時、柏崎刈羽原発が全機停止していて火力発電で対応していたため収支が悪化していた。福島第一まで停止したらさらに悪
化する。そのため東電は、福島第一の停止はなんとか避けたかった」(*2)

想定される津波高さは、当初は7.7m以上と説明されていたが、2008年5月下旬から6月上旬ごろ、山下氏は「15.7mになる」と報告
を受けた。「これが10mを超えない数値であれば、対策を講じる方針は維持されていただろう」とも述べていた。

15.7mより低い想定値にすることは出来ないか、それによって対策費を削ることができる可能性がないか検討するために、土木学
会を使って数年間を費やす方向が決められ、大学の研究者への根回しが武藤氏から指示された。

最終バックチェックに、地震本部の予測を取り込まないと審査にあたる委員が納得してくれないだろう。武藤はその可能性を排除
するため、有力な学者に根回しを指示した。「保安院の職員の意見はどうなる」という検察官の問いに、「専門家の委員さえ了解す
れば職員は言わない」と山下氏は答えていた。

2009年6月に開かれた保安院の審議会で、専門家から東電の津波対応が不十分という指摘がされた(*3)ことについて、土木調査
グループの酒井氏は「津波、地震の関係者(専門家)にはネゴしていたが、岡村さん(岡村行信・産業技術総合研究所活断層・地震
研究センター長、地質の専門家)からコメントが出たという状況」と関係者にメールを送っていたことも、公判で明らかになった。

水面下で進めていた専門家へのネゴ(交渉)に漏れがあり、公開の審議会で問題になったと白状していたのだ。

「大地震、何度も、とは思わなかっ た」

検察官の「津波は10mを超える可能性があったので、防潮堤まで作らないとしても暫定的な対策を考えたことはなかったのか」とい
う質問に、山下氏は以下のように答えていた。

「10m級の津波は実際には発生しないと思っていた。根拠は特にないが、2007年に新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が想定を
上回る地震を経験していたので、原発の想定を上回る地震が何度も起こるとは思いつかなかった」
この言葉に、傍聴していた人たちはざわついた。

その程度のリスク判断で原発を運転していたことに驚かされたのだ。大きな地震が2007年に柏崎刈羽原発を襲ったばかりだから、
そうそう続いて大地震は起きないだろうというのは願望にすぎず、科学的な裏付けは全くなかった。

第9回傍聴記の最後に、私は「めったに起きないはずの地震に連続して襲われことは無かろうと、高をくくっていたのではないだろう
か」と推測を書いていたが、本当にそのとおりだったのでびっくりした。

東電は、15.7mの津波想定を「試し計算」と自社の事故調報告書に書いている(*4)。裁判でも、そう主張している。ところが刑事裁
判における東電社員たちの証言で、報告書の記述は実態とかけ離れた「嘘」であることがはっきり見えてきた。

検察の二度の不起訴を検察審査会がひっくり返して刑事裁判が始まったおかげで、ようやく事実に近づいてきたのだ。自分たちが
引き起こした事故の検証を正直に出来ない会社が、柏崎刈羽や東通で再び原発を動かそうとしている。その状況は、とても恐ろしい。

この日の公判では、東電の西村功氏の証人尋問もあった。西村氏は、2008年当時、原子力設備管理部の建築グループで、原発の
基準地震動設定など耐震設計に関わる業務を担当していた。地震の揺れの想定と、地震による津波の想定の間で、どのように調整
していたか、違いはなにかなどを証言したが、特に目新しい事実は無かったようだ。

______________


*1 : 刑事訴訟法321条による

*2 : 原発の稼働率が1%下がると、収益は100億円悪化する 国会事故調報告書 p.534
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3514600

*3 : 総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤 合同WG(第32回)議事録
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8797557/www.nsr.go.jp/archive/nisa/shingikai/107/3/032/gijiroku32.pdf

*4 : 東京電力「福島原子力事故調査報告書」(最終報告書)2012年6月20日 p.21
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu12_j/images/120620j0303.pdf

刑 事裁判傍聴記:第23回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/07/72723-200873189-200886.html
「福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」

7月27日の第23回公判では、関係者の発言、別の原発が密かに実施していた津波対策など、「あっ」と驚くような事実が数多く開示
された。事故に関して、まだ多くの情報が公開されていないことを実感させられた公判だった。

「柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」

東京電力が津波対策の先送りを決めた2008年7月31日のすぐ後に、東電・酒井俊朗氏(第8・9回証人)は、このように発言したらしい。

「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」
 
2008年8月6日、日本原子力発電(原電)の取締役開発計画室長は、東電の津波対策先送りを聞き、こう発言していた。東電の決定は、
原電役員が唖然とするようなものだったのだ。

東電が先送りした津波地震対策を、原電は先送りせず、少しずつ進めていたこともわかった。敷地に遡上することを全面阻止する(ドラ
イサイト)のやり方ではなく、建屋の水密化なども実行していた。「他の電力会社も、地震本部の津波地震に備えた対策はしていなかった」
ことを東京地検は、東電元幹部の不起訴理由に挙げていたが、それは間違いだと明確になった。

この日の証人は、日本原電で津波想定や対策を担当していた安保秀範(あぼ・ひでのり)氏。大学院では応用力学の研究室に所属。
1985年に東電に入社し、2016年からは東電設計に移っている。2007年10月から2009年3月まで原電の開発計画室土木計画グループ
のグループマネージャーとして出向し、東海第二原発の耐震バックチェックに関する業務を担当していた。

検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に安保氏が答える形で、事故前の議事録、メールなどをもとに、関係者の発言や考え方を追っ
ていった。

◯「今 回BCに入れないと後で不作為であったと批判される」
地震本部が予測した津波地震について、「今回のバックチェック(BC)にいれないと後で不作為であったと批判される」と、2007年12月10日、
東電の高尾誠氏(第5〜7回公判証人)は語っていたようだ。公判で示されたメモ で明らかになった。

2008年2月、高尾氏が今村文彦・東北大教授に面談し、その際に今村教授は「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できない
ので、波源として考慮すべきである」と指摘した 。
その内容について報告を受けた安保氏は、東電の金戸俊道氏(第18・19回証人)に、「こうすべきだとダメ押しされたという内容ですね」と
メール を送っていた。

これらのデータをもとに、日本原電の2008年3月10日の常務会では、地震本部による津波地震の予測について「バックチェックにおいて
上記知見に対する評価結果を求められる可能性が高い」と報告されていた 。

◯「こ んな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」
東電の「津波地震を考慮する」という判断に引っ張られて、日本原電も防潮壁の設置した場合の敷地浸水をシミュレーションするなど、
対策に動き始めていた。ところが2008年7月31日、東電は方針変換して津波対策の先送りを決める(いわゆるちゃぶ台返しの日)。
東電の先送り決定直後に、安保氏は、「なぜ方針が変わったのか」と東電・酒井氏に尋ねた。

 「「柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」と酒井氏は答えた」。安保氏は検察の
聴取に、そのように述べていたことが、公判で明らかにされた。当時、2007年7月の地震により柏崎刈羽原発の7基が全て止まったままで、
東電は2007年度、2008年度連続の赤字がほぼ決まっていた。

酒井氏の発言について、この日の公判では、安保氏は「今の記憶ではありません」「そういうふうに思ったということだと思います」などと述べ、
内容を明確には認めなかった。

東電の先送りを受け、2008年8月6日に原電で社内ミーティングが開かれた。ここでの状況について、安保氏は以下のように検察の聴取に
答えていたことが公判で明らかにされた。

当時取締役・開発計画室長だった市村泰規氏(現・同社副社長)は「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」と延べ、
その場が気まずい雰囲気になった。
安保氏は、東京電力の方針を受け入れる代わりに、長期評価をバックチェックに取り入れない積極的な理由は東京電力に考えてもらい
たかったと考えた。

このような8月6日の様子について、安保氏は公判で自ら説明することは無かったが、検察の聴取結果を指定弁護士に読み上げられると
「言われてみればそういうふうに言ったと感じます」と述べた。

また、原電としては、東電の方針について「リーディングカンパニーである東電に従わないということは考えにくい」と検察に答えていたこと
も明らかになった。

◯津波 地震への対策、多重的に進めていた
公判で示された資料によると、東電の先送り後、原電は2008年8月段階で、津波対策の方針を以下のように決めた。

地震本部の津波地震による津波については引き続き検討を続ける。
バックチェクについては茨城県津波でやる。
津波対策については、耐力に余裕があるとは言えない。バックチェックの提出時点で対策工が完了していることが望ましい。茨城県の波源
についての対策は先行して実施する

 「茨城県の波源」とは、茨城県が2007年に延宝房総沖地震(1677年)と同じ規模の地震を想定し、浸水予測を発表したものだ。原電は東海
第二原発の津波を最大4.86mと予測していた(2002年)が、茨城県の予測は5.72mでそれを上回り、原子炉の冷却に必要な非常用海水ポン
プが水没してしまうことがわかった。そこで、ポンプ室の側壁を1.2mかさ上げする工事をした 。

ただし、茨城県の津波予測は、敷地(約8m)を超えない。しかし、地震本部の津波地震でシミュレーションすると敷地に遡上し、原子炉建屋の
周辺部が85センチ浸水することがわかった。

そこで、原電は「津波影響のある全ての管理区域の建屋の外壁にて止水する」という方針を決める。
工事で不要になった泥を使って海沿いの土地を盛土し、防潮堤の代わりにして津波の遡上を低減。それでも浸水は完全には防げないため、
建屋の入り口を防水扉や防水シャッタ−に取り替えたり、防潮堰を設けたりする対策を施した。

東日本大震災の時、東海第二を襲った津波は、対策工事前のポンプ室側壁を40センチ上回っていた。外部電源は2系統とも止まったので、
もし、津波対策をしていなければ、非常用ディーゼル発電機も止まり、電源喪失につながる事態もありえたのだ。
安保氏も「側壁のかさ上げが効いていたと認識しています」と証言した。

原電の津波対策には、注目すべきポイントが二つある。

一つは、地震本部が予測した津波地震対策も進めていたことだ。東京地検は2013年9月に東電元幹部らの不起訴処分を決めた時、理由の
一つに「他の電力事業者においても、推本の長期評価の公表を踏まえた津波対策を講じたことはなかった」を挙げていた。原電は、実際に長
期評価の津波地震に備えて建屋の水密化などを進めていたので、地検の不起訴理由で、この部分は間違っていたことがわかる。

もう一つは、敷地に津波が遡上してくることを前提にした対策を進めていたことだ。東電元幹部らの弁護側証人として出廷した岡本孝司・東大
教授(第17回公判)は、防潮堤を超えた津波に対応する扉の水密化などの多重的な津波対策をとっている原発は「残念ながらありませんでした」
と証言していた。これは間違っていたことがわかる。

また、東京地検も、2回目の不起訴の時(2015年1月)に「本件のような過酷事故を経験する前には、浸水自体が避けるべき非常事態であるこ
とから、事故前の当時において、浸水を前提とした対策を取ることが、津波への確実かつ有効な対策として認識・実行され得たとは認めがたい」
としていた。原電が実施していた対策を見れば、これも間違いだったことがわかった。

この公判では、福島原発事故を検証する上で、同じ日本海溝沿いにある原電の津波対策を見ていくことがとても役立つことが明らかになった。
しかし、原電は、盛り土や建屋の水密化などの対策を実施していたことを、これまで公表していなかった。東電は、原電の28%の株を持つ筆頭
株主である。その関係が、影響したのだろうか。
_____________ 

*1   2007年12月10日 推本に対する東電のスタンスについて(メモ)高尾氏からのヒヤ

*2   2008年2月26日 今村教授ご相談議事録

*3   2008年3月3日 安保氏から金戸氏へのメール

*4   2008年3月10日 日本原電 常務会報告 既設3プラントの耐震裕度向上工事の検討実施状況について
このかさ上げ高さでは、津波地震の津波には不足している。安保氏は「波力の問題があるので、かさ上げが難しいので別の方法を検討しなければ
ならなかった」と述べている。このため東日本大震災前に、ポンプ室については津波地震に対応できていなかった。推測だが、原電が高さ22m
(緊急時対策室建屋の屋上)に空冷の緊急用自家発電機を設置し、原子炉建屋にも接続する工事を2011年2月に終えていたのは、この代替案の
一つだったと考えられる。

刑 事裁判傍聴記:第22回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/07/22.html
土木学会の津波評価部会は「第三者」なのか?

7月25日の第22回公判の証人は、電力中央研究所の松山昌史(まつやま・まさふみ)氏だった。
松山氏は京都大学大学院工学研究科土木工学(修士)を修了し、1990年に電力中央研究所(電中研)に入所。現在は電中研
原子力リスク研究センターに所属している。電中研は約700人の研究員をかかえ、収益の85%は電力会社からの給付金だ。

松山氏は、2009年に東北大学から工学(博士)の学位を取得している。学位論文のタイトルは「沿岸の発電所における津波ハザード
とリスク評価手法」。指導教員は今村文彦・東北大教授(第15回公判の証人)である。

松山氏は、土木学会津波評価部会に1999年の立ち上げ時から幹事として参画。2009年からは幹事長として部会の運営を取り仕切
った。

公判では、検察官役の神山啓史弁護士の質問に松山氏が答える形で、土木学会津波評価部会の動きを中心に検証していった。
津波評価部会が、原発の津波想定方法を、どんな過程でまとめていくかを追う中で、様々な段階で電力会社が関与している様子が
浮かび上がった。

また最後に、検察官側から現場検証を求める意見陳述があった。

電力会 社が主役 土木学会の報告書作成過程
2008年7月31日に、東電の土木調査グループの酒井俊朗グループマネージャーや部下の高尾誠氏は、原子力・立地本部副本部長
だった武藤栄氏に、津波対策を進めるよう説明をしていた。これに対し、武藤氏は「波源の信頼性が気になる。第三者、外部有識者
にレビューしてもらう」と対策先送りを決める(いわゆる「ちゃぶ台返し」)。そこで、酒井氏が「第三者」として提案したのが土木学会だ
った。

では、土木学会の津波評価部会は「第三者」なのだろうか。土木学会津波評価技術をまとめた当時のメンバー構成を見ると、委員
・幹事30人のうち13人が電力会社社員、3人が電力中央研究所員、1人が東電設計(東電子会社)だ(*1)(グラフ参照)。メン バーに
電力会社の関係者が入っていることについて、松山氏は「原発を良くご存知の現場の方に入ってもらっている」と証言したが、電力
関係者が過半数を超えている状況では、第三者組織には見えない。

@ 電力会社が全額負担する電力共通研究の仕組みを使って、津波評価部会の議論のもとになるデータを東電子会社の東電設計が
中心になって作成
A それを電中研や東電が中心になった幹事団が専門家と調整しながら議論する。

この進め方で、電力会社に都合の悪い結論は出せるのだろうか。

松山氏は、政府事故調の聴取には、津波想定方法について「事業者(電力会社)に受け入れられるものにしなくてはならなかった」と
述べていた(*2)

松山氏は、2010年から2011年にかけて、波源モデルの改訂案を幹事団が提案した時の専門家委員の反応について「賛成も反対も、
意見が出されなかった」と証言した。幹事らがまとめた案が、粛々と了承されていただけの審議が多かったのではないかと思われる。

「新し い知見、チェックしていくことが必要」
土木学会津波評価部会は、2002年に津波想定の方法をまとめた「原子力発電所の津波評価技術」を策定したが、松山氏は「コストも
人手もかかるので、改訂は10年に一度ぐらいにしようという同意があった」と述べた。
神山弁護士の「その間に新しい知見が出たら、電力会社はどうすべきだったのか」という質問に対し、松山氏は「新しい知見は毎年出
てくる。いろんな評価を検討材料にあげてチェックしていくことは必要だ」と証言した。これは、東電元幹部が主張する「土木学会任せ」
「改訂待ち」の姿勢とは異なっていた。

裁判官 の現場検証を請求
公判の最後に、検察官役の久保内浩嗣弁護士が、福島第一原発や周辺を「裁判官の五官によって検証する必要があります」と意見を
述べた。久保内弁護士は、必要性の根拠に挙げたのが、今村文彦・東北大教授が「1号機から6号機の前面に防潮壁が必要」と証言し
たこと(第15回公判)や、東電で事故調査報告書のとりまとめを担当した上津原勉氏による「10m盤には配管などが埋まっており、対策
は大がかりな工事になって難しいが、可能ではある」という証言(第2回公判)だった。「証言の合理性、信用性を評価するには、現場
検証で現地の状況を立体的、全体的に把握することが必要です」と述べた。
______________

*1 委員、幹事の 2001年3月当時の名簿
http://committees.jsce.or.jp/ceofnp/system/files/TA-MENU-J-00.pdf
のp.7

*2 政府事故調  聴取結果書 2011年7月29日
http://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/054.pdf
これのp.10

刑 事裁判傍聴記:第21回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/07/21.html
敷地超え津波、確率でも「危険信号」出ていた

7月24日の第21回公判の証人は、東電設計の安中正(あんなか・ただし)氏だった。安中氏は、京都大学大学院で地球物理を専攻
した地震の専門家だ。土木学会の津波評価部会では、1999年から幹事を務めていた。土木学会で学者が審議するための資料づく
りは、東電設計など3社が取りまとめていたが、その責任者でもあった。電力業界の津波想定に関して、長年、土木学会の裏側で
実務を取り仕切ってきた人物である。

敷地高を超える津波が、どのくらいの確率で襲来するか計算する「確率論的津波ハザード解析」(PTHA)で、福島第一原発の危険
性はどのように評価されていたかを中心に、検察官役の石田省三郎弁護士が、安中氏に質問していった。PTHAの手法でも、敷地
高さを超える津波を想定しておくべきだという結果が出ていたことが明らかにされた。

確率評価、1.5倍に上 昇
土木学会は2003年からPTHAの研究を本格的に始めている。この成果を使って、東電設計は福島第一のPTHAを計算し、2004年
12月に報告書をまとめた。その結果、1万年に1回ぐらいの確率で起きる津波高さが7mから8mとわかった。

耐震設計では、「1万年に1回」程度の発生が予想される強い揺れを、基準地震動(Ss)として定め、それに備える。それと同じ考え
方で、津波でも「1万年に1回」を安全確保の目安と考えれば、7mから8mの津波が来ても事故を起こさないように対策をしなけれ
ばならないことになる(*1)。 これは当時の津波想定5.7mを超えており、非常用ポンプが水没して炉心損傷を引き起こす津波高さだ
った。

土木学会は、その後もPTHAの研究を続け、2009年3月に報告書(*2)をまとめた。この成果 をもとに、東電設計は福島第一の
PTHAを再び実施した。新たに貞観地震も考慮したところ、貞観地震の発生確率が高いことが影響し、1万年に1回レベルの津波高
さは11.5mになることがわかり、2010年5月には東電に報告された。前回2004年の値の約1.5倍になり、敷地高さを超え、全電源喪失
を引き起こすレベルだった。

貞観地 震「1オーダー低くならないか」
興味深いのは、このPTHAの結果を聞いた東電・高尾誠氏の反応だ。安中氏と東電の高尾氏らの面談記録(2010年5月12日)が
公判で明らかにされてわかった。これによると、PTHAの数値を押し上げた要因である貞観地震の危険度を「1オーダー(1けた)程
度低くならないか」と高尾氏は述べていた。

安中氏は、高尾氏の発言について「非常に高くなるので、それでは今の想定津波が妥当と言えなくなる。東電が当時進めていた津
波堆積物調査の結果を用いて貞観地震の波源モデルを変更し、PTHAの計算値を小さくすることを期待していたようだ」と述べた。

津波堆積物調査は、本来は津波の実態を科学的に把握するための調査だ。しかし、東電は想定切り下げに利用する意図が最初
からあったことがわかる。それは客観的な科学的調査とは呼ばない。

津波地 震、安中氏も高めに見直し
地震本部の長期評価(2002)について、土木学会はPTHAの基礎資料として、2004年度と2008年度に専門家にアンケートを取って
いた。
2004年度のアンケートでは、日本海溝沿いの津波地震について

@「過去に発生例がある三陸沖と房総沖で津波地震が活動的で、他の領域は活動的でない」
A「三陸沖から房総沖までのどこでも津波地震が発生するという地震本部と同様の見解」

二つの選択肢で聞いた。地震学者ら専門家の回答は、@に多くの重みを付けた学者が3人、Aに多くの重みをつけた学者が4人、
両者に全く同じ重みをつけた学者が2人で、その重みの平均値は、@が0.46、Aが0.54と、地震本部の見解を支持する方が上回っ
ていた。

2008年度のアンケートでは、日本海溝沿いの津波地震について

@三陸沖と房総沖のみで発生するという見解
A津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さい(津波が小さい)とする見解
B津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する

という三つの選択肢で、専門家の回答は@に最も重みをつけた学者が5人、Aに最も重みをつけた学者が4人、Bに最も重みを
つけた学者が2人で、その平均値は@が0.35、Aが0.32、Bが0.33で、ABを合計すると0.65となり、この時も、地震本部の「津波
地震がどこでも発生する」という考え方が、三陸沖と房総沖のみで発生するという見解を大きく上回っていた。

公判では、安中氏自身が、これらのアンケートにどう回答したかも示された。2004年アンケートは、@0.7、A0.3で、過去に起きた
ことがある場所だけで津波地震が起きるという考え方に重きをおいていた。
一方、2008年になると@0.4、A0.4、B0.3とし、「どこでも津波地震が起きる」の方を重視した。この理由について「スマトラ島沖津波
(2004年)の発生や、貞観地震の調査などで、従来考えられていなかった津波が報告されてきた。(土木学会手法がベースとしてい
る過去)400年では足りないのではないかという気持ちが出てきていた」と証言した。

地震についての調査研究が進むにつれ、土木学会津波評価部会の仕切り役だった安中氏でさえ、地震本部の長期評価を否定
しづらくなってきていたのだ。
______________

*1   SsとPTHAの値を比べてハザードの相場観をつかむやり方は、東電自身が2008年に示していた。2008年7月23日に、東電、
東北電力、原電、東電設計、JAEAが津波対応について打合せた会合で、東電は以下のように述べている。
「推本モデルの結果(推本の位置に三陸沖モデルをおいてパラスタした最大値)は、福島第一地点で、津波高さ約10mであり、
H17電共研成果の津波ハザードの10⁻⁴のオーダーであり、Ssのオーダーと調和的であった。」(JAEAが開示した議事メモより)

*2   「「確率論的津波ハザード解析の方法」を公開しました」土木学会のお知らせ2011年9月19日
http://committees.jsce.or.jp/ceofnp/node/39

刑 事裁判傍聴記:第20回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/07/20.html
防潮堤に数百億の概算、1年4か月で着工の工程表があった

第20回公判の証人は、東京電力の堀内友雅(ほりうち・ともまさ)氏だった。1994年に入社、2007年から2011年7月まで、本店原子
力設備管理部の土木技術グループ(G)に所属していた。現在は福島第一廃炉推進カンパニーの土木・建築設備グループ課長だ。

検察官役の山内久光弁護士の質問に答えて、2008年7月段階で沖合防潮堤の建設費を数百億円と概算していたことや、国や県へ
の説明、設計や許認可を経て着工までに1年4か月かかるとした工程表をつくって武藤元副社長に示していたことを堀内氏は明らか
にした。

「非常 に高い壁を作らないと浸水する」
堀内氏の所属する土木技術Gは、防潮堤など港湾施設や、排水路など耐震重要度がそれほど高くない施設を担当している。

2008年当時、東電本店の原子力設備管理部(吉田昌郎部長)のもとには、「土木技術G」のほかに、津波想定や活断層調査を担当
する「土木調査G」(これまで証人になった高尾誠氏、酒井俊朗氏、金戸俊道氏らが所属)、取水路など安全上重要な施設を担当す
る「土木耐震G」など、土木関係グループがいくつかあった。
このほか、建物の中に入っている設備の耐震を検討する「機器耐震技術G」、地震の揺れの評価や建屋の設計をする「建築G」など
もある。

2008年4月23日、土木関係のGのほか、建築G、機器耐震Gなどの担当者が集まって打ち合わせが開かれた。ここで、想定津波高さ
が10数mとなる見込みで、海抜10m(10m盤)に設置されている主要な建物への浸水は致命的であるとの観点から、津波の進入方向
に対して鉛直壁の設置を考慮した解析結果が提示された。
堀内氏は、この会合には出席していなかったが、出席していた土木技術Gの同僚から口頭で報告を受けた。

「非常に大きな津波評価が出たようだと聞いた」
「非常に高い壁をつくらないといけないという話だった」
「作るか作らないか決めたかまでは聞いていない」

と証言した。

反対尋問には「陸側の10m盤を全部覆う壁は必要ではなく、遡上高さが高くなっている部分に高い壁が必要になる」という認識も示した。
これは東電側の主張と同じだ。ただし堀内氏は海の構造物の担当で、10m盤の上にたてる防潮壁は担当外だった。

詳しい工程表を武藤氏に提出した
2008年6月10日、原子力設備管理部の吉田部長、土木調査Gの酒井氏、高尾氏らと一緒に、堀内氏も出席して、武藤氏に津波評価と
対策について説明がなされた。
この日は最終的な決定はされず、武藤氏から4つの宿題が出された。そのうちの一つは、堀内氏が担当することになった。沖合に防
潮堤を設置するために必要となる許認可を調べることだ。

堀内氏は、以下のような工程表をつくった。

国・県への説明
温排水の予測
漁業補償交渉
防波堤設計 意思決定から1年
許認可   1年4か月
防波堤工事 1年4か月で着工

そして、工事着工後は1年で約600m分の防潮堤を作ることができると見積もった。既設の港湾をすっぽりカバーする約1.5kmから
2km分なら、建設の意思決定から防潮堤完成まで約4年になる。
また費用としては、数百億円規模と概算した。単価として水深20mの場所に長さ1mで約2000万円。それが2kmで400億円という計
算だ。

消えた 沖合防潮堤
2008年7月31日、土木調査Gの高尾氏や酒井氏らはあらためて、津波想定の検討結果や、6月10日に出された宿題への回答を
武藤氏に報告。ここで堀内氏の概算結果や工程表も示された。武藤氏は、「すぐには対策に着手せず、津波想定について土木
学会で審議してもらうこと」を決めた。いわゆる「ちゃぶ台返し」だ。
この会合後、土木技術Gとしては、「あまりかかわることが無くなった」と堀内氏は証言した。「沖合の防潮堤に頼らない方向になっ
たから」と説明した。

「数年の時間稼ぎなら問題ない」と武藤氏は考えた?

これまでの東電社員や専門家の証言をもとに、「ちゃぶ台返し」(2008年7月31日)時点での、武藤氏のアタマの中を想像してみよう。

 「津波地震(15.7m)を想定しないとバックチェック審査は通らない」と土木調査Gで証言した全員が考えていた。また、規制当局と
の約束で、バックチェックは2009年6月までに終えなければいけない。それまでに対策も終わっていないと運転継続が難しくなる恐
れがあった。津波対策を検討する土木技術Gは、沖合防潮堤に最短4年、数百億円と見積もり(堀内氏の証言)。
津波地震の予測を公表せずに、その対策工事に着手することはできない(酒井氏の証言)。工事は大がかりで目立つからだ。
津波地震の津波(15.7m)が襲来すると全電源喪失する可能性が高い(溢水勉強会2006)。

工事着手のため、津波地震による津波想定(15.7m)を公表した状況を想定してみよう。すると、津波地震に無防備な状態で、運転
したままそれへの対策工事をすること(最低4年かかる)に、地元から反対される可能性があった。
すなわち、工事に着手しようとすると、福島第一や、同様に津波が高くなる福島第二の停止を迫られるリスクがあった。当時、新潟
県中越沖地震(2007)で柏崎刈羽原発が全機停止しており、さらに原発が減ると供給力に不安が出てくる。

「ちゃぶ台返し」時点では、東電は2007年度、2008年度連続の赤字がほぼ決まっていた。2009年度、3年連続の赤字は、避けるよう
勝俣氏から厳命されている。数百億円の津波対策工事費、原発停止にともなう燃料費増は、受け入れられない。

さてこの窮地で、武藤氏はどう考えたのだろう。以下は推測だ。

現状では審査に通らない理由は、「審査する人が、津波地震抜きでは認めてくれそうにないから」(土木調査Gの社員による証言)。
武藤氏は思いついた。「それなら、審査する人たちを、うまく説得すればいい」。バックチェック審査を担当する数人の専門家を説き
伏せるだけで、3年連続赤字が回避できるなら簡単だ。それで時間を稼ぎ、財務状況が良くなってから工事すればいい。工事はか
なり困難だが、そのころには自分も担当役員から外れている。

もちろん、専門家に「見逃してくれ」と言っても通用しない。そこで、「当面は津波地震(15.7mになることは伝えない)が入っていない
旧土木学会手法(2002)でバックチェックを進める。そのあと土木学会手法を改訂し、津波地震の取り入れを検討する。それにし
たがって対策はする。いずれ津波対策は実施する」という理由を考えた。
そして、専門家の大学研究室に個別訪問し、密室で交渉していく。「技術指導料」という謝礼を払うこともあったと見られている(阿部
勝征氏による)。

本当は「2009年9月までに最新の知見を取り入れてバックチェックをすること」を東電は原子力安全・保安院や原子力安全委員会と
約束していた。しかし、その約束を、津波の専門家は知らない。「土木学会で審議し、いずれ対策を実施するならいいか」と東電の
説得を受け入れた。土木学会の審議は2012年までかける予定だった。

「万が一の危険を避けるため、3年以内(2009年まで)に最新の知見を反映させるバックチェックの趣旨に反している」と反対する
東電社員もおらず、「経営判断だ」と受け入れた。
武藤氏も津波の専門家たちも、最近400年間に3回しか起きていない津波地震が、東電が対策を先延ばしする数年の間に起きる
とは考えていなかったのだ。いや、「考えたくなかった」という方が正しいかもしれない。

刑 事裁判傍聴記:第19回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/07/19.html
「プロセスは間違っていな かった」?
月6日の第19回公判は、前回に引き続いて東電の金戸俊道氏が証人だった。弁護側の宮村啓太弁護士の質問に答えていく
形で、2007年11月以降の東電社内の動きを再度検証した。
宮村弁護士は、東電の津波想定や対策についての動きを総括して、こう金戸氏に尋ねた。

宮村「一連の経過の中で、安全をないがしろにしたところはありますか」
金戸「一切無かったと思います」
宮村「合理的なものだったということですか」
金戸「プロセスとして間違っていなかったと思います」

本当に、安全で合理的なプロセスだったのか、検証したい。

◯確か にそうだよね、とも思いたくなるが…
  宮村弁護士は以下のように東電の動きを整理した。
2007年11月、東電と東電設計が地震本部の長期評価(津波地震)について検討を始める
2008年3月、東電設計が計算結果を報告(15.7m)
2008年6月と7月、東電の土木調査グループは、津波地震の検討結果と対策について武藤元副社長と報告。武藤氏は、津波
地震の波源について土木学会に検討してもらい、改訂された評価に従って対策をすると決める。
2008年秋以降、専門家に3)の進め方について説明。同意を得る。
2010年以降、土木学会の検討結果に応じた対策がとれるように、社内のWGで検討を始めた。
土木学会の専門家に数年かけてじっくり議論してもらい、新しい波源について確定する。津波対策はそれに応じて進める。対策
をやらないわけではない、いずれはやる。
宮村弁護士のうまいプレゼンを聞いていると、それは本当に合理的で、十分安全なやり方のように思えてくる。しかし、いくつも
問題点が隠されている。

◯「運転しながら新リス ク対応」には期限があった
一つは、新たなリスクが見つかってから対策を終えるまでに、どれだけ時間をかけていいのかという点だ。
裁判官の質問に対し、金戸氏は、対策完了まで5年から10年かかっても問題は無いという認識を示し、「それは間違っていること
ではない」とも述べた。
本当に問題ないのか。

福島第一のような古い原発が新しい耐震指針を満たしているのか、運転しながら確認することについて、原子力安全・保安院は、
さまざまな検討をしていた。

 ・「耐震設計審査指針改訂への対応(論点整理)」(2006年3月3日 原子力発電安全審査課)(*1)
「原則として、新しい知見は直ちに適用すべきとの考え方からすれば、猶予期間の考え方は成立するのか」
「バックチェックの法的位置づけ(伊方判例との関係、バックフィットではないのか、満足されなかった場合の運転継続を認めるのか)
「既存プラントの運転継続を認めるか(バックチェック終了までは指針適合性は不明→確認した上で判断)」
「バックチェック終了後、改造工事が必要となった場合の改造期間中の運転継続」

東電を中心とした電気事業連合会も、何度も意見を送っていた。
 ・「指針改訂に対する基本スタンスと留意すべき点」(2006年2月6日)(*2)
「事業者は、運転継続しつつ対応することの妥当性を主張」
「適切な猶予期間を確保して、運転を継続しつつ計画的に対応していく必要あり」
 ・「耐震指針改訂に伴う既設プラントバックチェックに要する期間について」2006年2月6日(*3)
「バックチェックおよび補強工事には最長4〜5年、最短でも2年近くを要する見込みであり、プラントの運転を継続するには適切な
猶予期間を規制当局に容認していただくことが不可欠である。」
 ・「耐震指針改訂にあたっての原子炉施設における対応について」2006年2月21日(*4)
「国は、所要の期間を確保(最長3年程度)したうえで指針改訂を踏まえた耐震安全性確認を指示、事業者はこれを受け評価並びに
所要の対応措置を積極的、計画的に実施。」

その結果、保安院は、伊方の判例(*5)な ども考慮した上で、電事連に対して即時運転停止は求めないが、そのかわりに余裕がある
ことを確かめて一定の安全性を確保しながら一定の期間(3年)内にバックチェックを終えるという合意がなされたと見られている。

東電は、2006年9月のバックチェック開始当初は、津波の想定を含めた最終報告を2009年6月までに終える予定だった。
2008年9月4日に、保安院から「新潟県中越沖地震を踏まえた原子力発電所等の耐震安全性評価に反映すべき事項について」が通知
され、地震の揺れに地下構造が与える影響などを、より詳しく調べるよう求められた。

この後、東電は福島第一のバックチェックチ最終報告を延期することを2008年12月8日に発表する(*6)。ただし保安院の9月 の通知
以前から、東電は最終報告を先延ばしすることを決めていたようだ。酒井氏は2008年7月時点で「2009年6月はないと知っていた」と証
言している(第9回公判)。この背景は詳しく知りたいところだが、まだ追及されていない。

2008年12月8日の延期発表では、東電は最終報告の時期を特定していなかった。ただし、それほど長い延長とは、保安院はとらえて
いなかったようだ。保安院の名倉繁樹・安全審査官が、保安院の審議会メンバーに送ったと思われるメールが開示されている(*7)

2009年7月14日火曜日21:29
■■先生
返信ありがとうございます。

東京電力が秋以降に提出する本報告に可能な限り知見を反映するよう指導していきます。

5年から10年かけるのは、明らかに「想定外」なのだ。

◯「社会に説明しづら い」「他社の動きに危機感」との矛盾
 新しいリスクに対応するプロセスに5年から10年かけても十分安全、合理的と金戸氏は証言した。一方、前回18回公判では、武藤
元副社長が津波対策を先送りした「ちゃぶ台返し」を説明した資料が「津波に対する検討状況(機微情報のため資料は回収、議事
メモには記載しない)と記載されていたことについて「外に漏れ出すと説明しづらい資料なので」と述べていた。安全で合理的なプロ
セスならば、なぜ説明しづらかったのだろうか、理解できない。

18回公判では、津波対策が進んでいないことに「フラストレーションがたまった」とも金戸氏は述べていた。これに関連し、検察官役の
渋村晴子弁護士は「他社が対策を進めている情報が入っていて危機感があったのではないか」と質問。金戸氏は「そういうことです」
と答えた。東電のプロセスが安全で合理的であるなら、他社と比較されても危機感は持たないだろう。

金戸氏は、東電で活断層や津波の調査を担当する現役のグループマネージャーだ。東電は、新しいリスクへの対応に5年や10年かけ
ても問題ないと今も考え、行動しているのだろうか。柏崎刈羽や東通の動きを見る上で、そこも気になった。

他社の津波対策状況
______________

*1 原子力規制委 員会の開示文書:原規規発第18042710号(2018年4月27日)(以下、開示文書)の文書番号277 p.47
https://1drv.ms/b/s!AlwyMKNSAjKbgflRXgjgLaPuNrUU7Q

*2 開示文書 文 書番号277 p.24

*3  開示文書 文書番号277 p.27

*4 開示文書 文 書番号277 p.34

*5 四国電力伊方 原発の安全性をめぐって争われた訴訟で、最高裁が1992年に出した判決。「周辺住民等の生命、身体に重大な
危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがあることにかんがみ、右災害が万が
一にもおこらないようにすること」とし、規制については「最新の科学技術水準への即応性」が求められるとしていた。

*6 「発電用原子 炉施設に関する耐震設計審査指針」の改訂に伴う福島第一原子力発電所および福島第二原子力発電所の耐震
安全性評価の延期について2008年12月8日
http://www.tepco.co.jp/cc/press/08120806-j.html

*7 開示文書 文 書番号 231 RE【保安院】福島評価書案
https://1drv.ms/b/s!AlwyMKNSAjKbgfloLH-_2CRIlx3fdA
p.1

刑 事裁判傍聴記:第18回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/06/18.html
「津波対策は不可避」の認識で動いていた

6月20日の第18回公判の証人は、東京電力の金戸俊道氏だった。金戸氏は事故前、高尾誠氏(第5〜7回公判の証人)、酒井俊朗氏
(第8、9回公判の証人)の部下として、本店土木調査グループで津波想定の実務を担当していた。現在は同グループのマネージャーだ。
検察官役の渋村晴子弁護士の質問に答える形で、土木調査グループと、実際の対策を担当する社内の他の部署や、他の電力会社と
のやりとりの様子を、メールや議事録をもとに金戸氏の証言でさらに詳しくたどった。渋村弁護士は、会合一つ一つについて、出席者の
所属や、彼らが出席した目的を説明するよう求め、「津波対策は不可避」という認識で東電社内が動いていたことを明らかにしていった。

〇長期 評価対策の先送り、「経営判断だった」
政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が2002年に発表した長期評価「福島沖の日本海溝沿いでも津波地震が起きうる(高さ15.7m)」
という予測について、金戸氏も、高尾氏、酒井氏と同様に「取り入れずに耐震バックチェックを通すことは出来ないと思っていた」と、はっき
り証言した。

「地震本部という国のトップの組織があって、著名な地震の研究者が集まってまとめた長期評価を、取り入れずに(耐震バックチェクの)審
査を通すことはできない」という理由だった。「絶対に起きるものとは言えないが、否定はできないもの」と考えていたという。

金戸氏は、2007年11月1日に、東電設計の久保賀也氏(第4回公判の証人)から「(長期評価を)取り入れないとまずいんじゃないでしょうか
とアドバイスをもらった」と述べた。東通原発の設置許可申請で長期評価の考え方を取り入れて地震の揺れを想定していたことから、津波
で長期評価を取り入れないと、「東電として矛盾が生じる」という理由だった。

2008年7月31日の武藤元副社長との会合までは、「長期評価を取り入れて耐震バックチェックを進める、対策として沖合防波堤と4m盤への
対策を進めていくこと、これを決めてもらえればと考えて準備していた」と証言。会合当日、武藤元副社長が長期評価を取り入れないことを
決めた(いわゆる「ちゃぶ台返し」)ことについて「想像していなかった」、対策工事をしないことも「それも無いと思っていました」と述べた。

武藤氏の対応については「その対応は経営判断したと受け止めた」「時間は遅くなるけど、対策はやることになると思っていた」と話した。

会合当日すぐ、上司の酒井氏が日本原電や東北電力に会合の様子を伝えたメールを送信していたことについて「180度変わった結論にな
ったので、早く伝えなければとメールしたのだろう」と説明した。

〇「外 に漏れ出すと説明しづらい資料」
 「ちゃぶ台返し」の後、同年9月8日に酒井氏が高尾氏、金戸氏にメールを送っていた。「最終的に平成14年バックチェックベース(改造
不要)で乗り切れる可能性は無く、数年後には(どのような形かはともかく)推本津波をプラクティス化して対応をはかる必要がある」。

これについて、金戸氏は「(武藤氏の指示にしたがって土木学会で)長期評価の波源を福島沖に置くか研究を実施しても、何も対策をしなく
ても良いという結果にはならない。対策をいずれやらないといけないという意味だった」と説明。酒井氏と同様、時間稼ぎという認識があった
ようにみえる。

9月10日には、福島第一原発の現地で、所長ら18人と、本店の関係者で「耐震バックチェック説明会」が開かれた。この際の資料(*1)
金戸氏は作成。酒井氏からは「真実を記載して資料回収」と指示され、資料には「津波対策は不可避」と書いた。議事メモ(*2)には「津波
に対する検討状況(機微情報のため資料は回収、議事メモには記載しない)と書かれていた。

金戸氏は「外に漏れ出すと説明しづらい資料なので」と、これらの文言について説明した。「土木学会で3年かけて研究、すぐには対策に着手
しない」という東電のやり方に、社会に対して説明できない、後ろめたいものを自覚していたのではないだろうか。

〇「解 決困難でもやめないこと」怒ったセンター長
その後も、土木調査グループのメンバーは、「土木学会における検討結果が得られた時点(2012年)で、対策工事が完了していることが望
ましい」という考えだったが、対策は進まなかった。「なんで早く進まないのか、フラストレーションがたまった」と証言した。

2010年8月には、津波の想定、対策に関わる部署(土木調査グループ(G)、機器耐震技術G、建築耐震Gなど)を集めて「福島地点津波対策
ワーキング」がようやく発足した。

しかし、ワーキング発足の後も、「機器配管が濫立しており、非常用海水ポンプのみを収容する建屋の設置は困難」(建築耐震G)など悲観的
な報告が続くばかりだった。「解決困難でも止めないことと、土方さん(*3)は怒っていました」と 述べた。

〇 「15.7m対策では事故は防げなかった」への疑問
2011年3月11日。前月に東通原発の事務所に異動になっていた金戸氏は、青森県の三沢空港にいるときに地震に遭遇した。

「長期評価の見解を考慮した津波は、南東から遡上してくる。今回の津波は遡上してくるパターンが全然違っていた。ちょっと違いすぎる。長
期評価の対策をしていたからといって今回の事故が防げたとは思えない」と金戸氏は証言した。

これには、いくつか疑問がある。

一つは、15.7mの津波対策として、金戸氏の頭にあった沖合防波堤や4m盤対策だけでは不十分で、審査を通らなかった可能性があることだ。
耐震バックチェックで津波分野を担当していた今村文彦・東北大教授は、「15.7m対策には、1号機から4号機の建屋前(10m盤)にある程度の
高さの防潮壁が必要で、それがあれば311の津波もかなり止められただろう」と述べている(第15回公判)。

もう一つは、運転しながら対策工事をすることが認められず、311前に運転停止に追い込まれていた可能性があることだ。
東電の経営陣は、対策工事の費用より、さらに経営ダメージが大きい運転停止を恐れ、研究名目で時間を稼ごうとしたのではないだろうか。

防波堤などの対策工事は目立つから、着手する段階で、新しい津波想定の高さを公表する必要がある。しかし従来の津波想定(5.7m、外部
に公開されていたのは3.1m)を、一気に15.7mに引き上げるとアナウンスした時、地元は運転継続しながらの工事を認めない可能性があった。
その場合、福島第一は3月11日には冷温停止していたことになり、大事故にはつながらなかった。

〇長期 評価より重い貞観リスク
渋村弁護士は貞観地震の問題についても尋ねた。
「貞観を取り入れなくて良いと考えていたのか」
金戸氏「長期評価と同じように、研究してからとりこもうと考えていた」

長期評価の15.7mは、記録には残っていないが、地震学の知見から予測される「想定津波」だ。一方、貞観津波タイプは、過去に何度も襲来
した実績のある「既往津波」である。より確度は高い。450年から800年周期で福島県沿岸を襲っており、前回は1500年ごろに発生していたか
(*4)、周期か らみると切迫性さえあった。

だから、15.7mと貞観タイプでは、原発へのリスクを考える時には重みが違う。同様に扱うとした金戸氏の答えは、疑わしい。

おまけに、お隣の女川原発はすでに貞観タイプを想定して報告書を原子力安全・保安院に提出ずみだった。女川と同じ貞観タイプの波源を
想定すると、福島第一は4m盤の非常用ポンプが運転不能になることもわかっていた。

2011年4月には、地震本部の長期評価改訂版が公表される予定だった(第11回、島崎邦彦・東大名誉教授の証言参照)。2002年版と同じ
津波地震(15.7m)に加え、貞観タイプへの警告も新たに加わっていた。この時点で運転停止に追い込まれるリスクを警戒していたからこそ、
東電は文部科学省に長期評価の書き換えまでさせたのではないだろうか(*5)

*1 東電株主代表 訴訟の丙90号証の2
*2 甲A100
*3 土方勝一郎・ 原子力設備管理部新潟県中越沖地震対策センター長、酒井氏の上司
*4 産業技術総合 研究所 活断層・地震研究センター AFERC NEWS No.16 2010年8月号
https://unit.aist.go.jp/ievg/katsudo/ievg_news/aferc_news/no.16.pdf
*5 東電が地震本 部に書き換えさせた長期評価
http://media-risk.cocolog-nifty.com/soeda/2014/01/post-c88c.html
橋本学・島崎邦彦・鷺谷威「2011年3月3日の地震調査研究推進本部事務局と電力事業者による
日本海溝の長期評価に関する情報連絡会の経緯と問題点」日本地震学会モノグラフ「日本の原子
力発電と地球科学」2015年3月、p.34
http://www.zisin.jp/publications/pdf/monograph2015.pdf

刑 事裁判傍聴記:第17回公判(添田孝史)
間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言

6月15日の第17回公判には、岡本孝司(おかもと・こうじ)・東大教授が証人として出廷した。専攻は原子力工学で、なかでも専門分野は熱
や流体の流れ。核燃料からどうやって熱を取り出して発電するかという分野である。

1985年に東大の原子力工学専門課程の修士課程を出て、三菱重工業に入社。もんじゅの設計や製作に携わったのち、1988年に東大助手、
2004年から同教授。2005年から2012年まで、原子力安全委員会の原子炉安全専門審査会審査委員、専門委員を務めていた(*1)

証言のテーマは
津波対策の多重化
原発の規制における民間規格の活用
津波リスクの確率論的評価
など多岐にわたった。
岡本教授は「専門家でないのでわからないですけれども」と何度も前置きしたうえで証言を続けていた。本来の専門ではない分野が多かった
せいか、間違いや知識不足が目立った(*2)

◯「津 波対策を多重化していた原発は無い」→浜岡は実施ずみ
多重的な津波対策とは、敷地に津波が遡上しないようにする@防潮堤だけでなく、@が破られた後の備えとして、敷地の上にA防潮壁、
A扉水密化、B重要機器水密化、C高台に電源車など代替注水冷却設備を置いておく、などの対策をすることだ(下図参照(*3))。

被告人側の宮村啓太弁護士はこう尋ねた。
「(事故前に)多重的な津波対策をとっている原子力発電所はありましたか」
岡本教授「残念ながらありませんでした」

これは間違いだ。

中部電力が2008年2月13日に原子力安全・保安院に送った文書(*4)によると、浜岡原発で は敷地に津波が遡上した時の対策として、ポ
ンプ予備品の購入、建屋やダクト等の開口に防水構造の防護扉(A)を設置するなど、浸水への対応を進めていた。また、ポンプモーター
の水密化(B)、既製の水中ポンプによる代替取水、ポンプ周りに防水壁(A)を設置するなども検討していた。

中部電力は、「津波に対する安全余裕の向上策」として、敷地に浸水した後の多重化対策もやっていたのである。

◯「想 定を超えた事態を、十分想像出来ていなかった」?
岡本教授は、「津波が想定を超えたらどうなるか、十分思いが至っていなかった」と述べた。ただし、これは岡本教授の認識であって、東電
や規制当局の実際の動きとは異なる。

2006年5月に、保安院と原子力安全基盤機構(JNES)が開いた溢水勉強会で、福島第一原発で敷地より高い津波(押し波)が襲来すると、
主要建屋が水没し、大物搬入口などから浸水して全電源喪失に至る危険性があると、東電が報告していた(*5)

保安院は、2006年10月6日に、耐震バックチェックに関して全電力会社の関係者を集めてヒアリングを開いた。ここで、保安院の担当者は、
津波対応について「本件は、保安院長以下の指示でもって、保安院を代表して言っているのだから、各社、重く受け止めて対応せよ」とし、
以下のような内容が伝えられた(*6)

「津波は自然現象であり、設計想定を超えることもあり得ると考えるべき。津波に余裕が少ないプラントは具体的、物理的対応を取ってほしい。
津波について、津波高さと敷地高さが数十cmとあまり変わらないサイトがある。想定を上回る場合、非常用海水ポンプが機能喪失し、その
まま炉心損傷になるため安全余裕がない」

また日本原子力学会で津波リスク評価の報告書(*7)をまとめた委員長の宮 野廣・法政大教授は以下のように述べている(*8)

「JNESが2007年に、福島第一に津波のような浸水があったらどうなるか、リスク評価をして公表していました。ほとんどの外的事象で、事故
が引き起こされる確率は1億年に1回という程度なのに、洪水や津波で水につかった場合に炉心損傷に至る確率は100分の1より大きく、
桁はずれに高いリスクが明らかになっていました」

「福島第一は、津波が弱点だとリスク評価で明らかになっていました。ほかの要因に比べて明らかに差があるから、ちゃんと手を打たなけれ
ばいけない、そういう判断に使えなかったのは非常に残念です」

岡本教授は、溢水勉強会のことについては「存じ上げません」、JNESのリスク評価の発端となったインド・マドラス原発のトラブルについても
「細かいところまでは把握していない」と証言していた。この分野の知識が十分でない岡本教授に、そもそも証言する資格があるか疑わしい
テーマのように思われた。

◯ 「バックチェック中、停止する必要は無かった」?
原発を運転しながらバックチェックを進めることについて、岡本教授は「大きな余裕のもと運転がなされている。欧米も運転しながら確認して
いる」と証言した。

原安委と保安院の2003年4月3日打合せ資料の中に、「原子力施設の耐震設計に内在する裕度について」という文書がある(*9)
指針改訂前に設計された原発に、設計値と比べてどのくらいの安全余裕が上乗せされているか検討している。これは揺れについてのみ調
べたものだが、
「顕在的裕度として最低でも約3倍の裕度があることが(ママ)確認した。また、全ての施設に有すると考えられる潜在的設計裕度を加味すれば、
耐震設計に内在する裕度は、それ以上を見込むことが可能であり、一部の施設について行われたNUPEC耐震実証試験における破壊試験か
らも確認できる」

と結論づけていた。

一方、津波に関しては余裕が小さかった。前述したように、保安院は「津波について、津波高さと敷地高さが数十cmとあまり変わらないサイト
がある」と説明していた。電事連が2000年に実施した調査では、福島第一は全国の原発の中でもっとも津波に対する余裕が小さいこともわか
っていた。土木学会手法による津波想定に0.5%程度の誤差が生じただけで、非常用ポンプの機能が失われる状態だった(*10)

検察官役の山内久光弁護士の「もしチェックしたところ、基準を満たしておらず対策が立てられないときは、停止するしかないのですか」
という質問に、岡本教授は「おっしゃる通りです」と答えた。

検察官側は、「運転停止以外の『適切な措置』を講じることができなければ、速やかに本件原子力発電所の運転を停止すべきでした」
と主張しており、それについては岡本教授も認めた形だ。

◯「民間規格の活用が進 んでいた」?
岡本教授は、原子力規制に民間学会の基準を活用することについて「従来は告示をもとに規制していたが、新知見をどんどん取り入れて
いくのに民間規格を使うようになった」と説明した。被告人側の宮村啓太弁護士は、だから民間の土木学会が策定した津波想定手法(土
木学会手法)を使うのは適切だった、という東電元幹部らの主張を補強しようとしていたように見える。

岡本教授が指摘したように、学会などの民間団体がつくった技術基準を積極的に規制行政に取り入れていく流れはあった。ただし、民間
の基準を規制に用いるには以下の要件を満たしていることを規制当局が検証して、エンドース(是認)する手続きを経なければいけない(*11)

(1) 策定プロセスが公正、公平、公開を重視したものであること(偏りのないメンバー構成、議事の公開、パブリックコメント手続きの実施、
策定手続きの文書化及び公開など)
(2) 技術基準やそのほかの法令又はそれに基づく文書で要求される性能との項目・範囲において対応がとれること。

証言ではあいまいにされていたが、土木学会が策定した津波想定方法(土木学会手法、津波評価技術)は、このエンドースを得ていない。
だから耐震バックチェックは、土木学会手法を用いればいい、とお墨付きを得たものではない。保安院も「津波は個別の原発ごとに審査して
おり、土木学会手法を規制基準として用いていない」と説明していた(*12)

日本電気学会がまとめた指針「JEAG4601-2008」で、「津波水位評価にあたり準用あるいは引用する基準類の適用版は以下による」として、
土木学会手法が引用されていたが(*13)、JEAG4601 -2008自体も、エンドースは事故時までにはされていなかった。

土木学会自身も、土木学会手法について「民間指針等とは正確を異にしており、事業者に対する使用を義務付けているものではない」と事故
後の2011年4月にコメントを出している(*14)

というわけで、宮村弁護士の狙いは尻すぼみ気味に終わった印象を受けた。

*1 岡本教授は茨 城県の県原子力安全対策委員会の委員長も務めていた。県に提出された自己申告書によると、2010年〜12年度、
日本原子力発電や三菱重工業から寄付金や共同研究費として計約1340万円を受領している。

*2 岡本教授が民 事訴訟で提出している意見書と共通する問題点である。
添田孝史「間違いだらけの岡本孝司・東大教授意見書」https://shien-dan.org/hamada-201702/

*3 東京電力株式 会社「福島原子力事故調査報告書」2012年6月20日 p.326から
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu12_j/images/120620j0303.pdf

*4 中部電力株式 会社「浜岡原子力発電所3,4号機 津波に対する総合的な対策について」 2008年2月13日

*5 原子力安全・ 保安院が事故後に公開した溢水勉強会の資料
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/05/240517-4.html
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/06/240604-1.html
国会事故調報告書 p.84

*6 国会事故調報 告書 p.86

*7 日本原子力学 会「原子力発電所に対する津波を起因とした確率論的リスク評価に関する実施基準:2011」2012
年2月
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I023395115-00

*8 地盤工学会な ど「活断層が分かる本」 技報堂出版 2016 p.138

*9 添田孝史「耐 震規制の『落としどころ』をにぎっていた電力会社」岩波科学 2017年4月

*10 国会事故調報告書p.85

*11 原子力安全・保安部会原子炉安全小委員会「原子力発電施設の技術基準の性能規定化と民間規格の活用
に向けて」2002年7月22日
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286862/www.nisa.meti.go.jp/text/kichouka/no7-4.pdf

*12 国会事故調報告書p.91

*13 日本電気協会原子力規格委員会「原子力発電所耐震設計技術指針 JEAG4601_2008」p.206
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000010508082-00

*14 土木学会原子力土木委員会「原子力発電所の津波評価技術」について問い合わせの多い内容と回答
http://committees.jsce.or.jp/ceofnp/node/7

刑 事裁判傍聴記:第16回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/06/16.html
「事故は、やりようによっては防げた」

6月13日の第16回公判の証人は、首藤伸夫・東北大名誉教授だった。首藤氏は1934年生まれ、「津波工学」の提唱者であり、1977年
に東北大学に津波工学研究室を創設した初代教授だ。前日の証人だった今村文彦教授の師にあたる。
1995年から原発の設置許認可を担う旧通産省の審査に加わった。土木学会が1999年から始めた津波評価技術(土木学会手法)の
策定では主査を務めた。事故前に、福島第一原発の津波想定が5.7mとなる基準を定めた、そのとりまとめ役である。

公判で、首藤氏は明治三陸津波(1896)以降の津波対策の歴史を語り(*1)、そして福島第一原発 の事故について「やりようでは防げた」
と証言した。

◯中央防災会議の津波想 定を批判
1960年のチリ津波の後、岩手県釜石市両石町で、首藤氏が津波の片付けをしているおばあさんに「おばあさん、大変でしたね」と声を
かけた。「そのおばあさんは、こんなに災害でやられているのに、こんなきれいな笑顔ができるのかというくらいニコッと笑って、『あんた
ね、こんなものは津波じゃない。昭和や明治の津波に比べたら、こんなものが津波と言えますか』と言われた。その一言が、私の人生
を変えた『宝物』ですね」(*2)

「地球の歴史をざっと50億年と考えて、人間の50年の人生に比較すると、地球にとって30年というのは、人間にとっての10秒ほどにすぎ
ない。地震の観測が詳しくなったここ30年の期間なんてそんなものなんですよ。10秒の診察では、人間の病気はわからないでしょう。津
波のことはわかってないぞ、というのが腹の底にある」(*3)

さすがに津波工学の創設者だけあって、津波対策の歴史についての語りは体系的でわかりやすかった。上に紹介したようなエピソードは、
これまでもいろいろな媒体に掲載されてきたが、法廷で初めて聞いた人も多かっただろう。

今回の証言で、私が初めて耳にしたのは中央防災会議への批判だった。

中央防災会議の日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会は、想定する津波を、これまで繰り返し起きているものに絞
り込んでいた(*4)(地 図)。
首藤氏らが1998年に取りまとめた「七省庁手引き」(*5)では、最新の地震学の研究成果から想定される最大規模の津波も計算し、既
往最大の津波と比較して、「常に安全側の発想から対象津波を選定することが望ましい」としていたが、
後退していた形だ。「七省庁手引きで、最大津波を想定しましょう、としたのが中央防災会議ではすっぱり落ちている。学問の進歩を取
り入れて想定しましょうとしていたのに理由がわかりません。大変がっかりした」。首藤氏はこのように述べた。

◯土木学会に審議しても らおうとしたのは東電だけ
2008年7月31日に、武藤栄元副社長が長期評価の対策を先延ばしし、土木学会の審議に委ねたこと(ちゃぶ台返し)に関して、被告人
側の中久保満昭弁護士は、こう尋ねた。

「地震学的な取扱について津波評価技術(土木学会手法)の改訂を審査してもらう手順について合理的だと思われますか」首藤氏はこう
答えた。
「当然だと思います。いろいろなところの学問の進歩に触れながら、取り入れて手法を作っていく。それは一つの電力会社では手に余る」

しかし、実際には、東京電力以外の電力会社は、土木学会の審議を経ずに学問の進歩を取り入れて、新しい津波を想定していた。
3年かけて土木学会の審議してもらおう、と言ったのは、東電だけだったのだ。

東北電力は、女川原発の津波想定に貞観地震(869)を取り入れて2010年に報告書をまとめていた。土木学会手法(2002)では、貞観地
震の波源は想定していないが、土木学会の改訂審議は経ていない。

日本原電は、東海第二原発の津波想定を2007年に見直し、対策工事を始めた。1677年の延宝房総沖津波の波源域を、土木学会手法
より北に拡大したが、土木学会の審議は経ていない。

中部電力も、2006年から始まったバックチェックで、浜岡原発の津波想定に最新の中央防災会議モデルを採用した。やはり、土木学会
の審議は経ていない。

波源域の見直しは一つの電力会社では手に余る、という事実は無いのだ。

◯揺れ対策は「十数万年に1回」の対 策に費用を投じていた
検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に、首藤氏は「事故はやりようによっては防げた」と明言した。首藤氏は、地震につ
いて10秒分しか知らないのだから、防潮堤では限界があることを念頭に、一つの手段がだめになったらお手上げという形
でなく、建屋の水密化などの対策もとって、津波に対して余裕をもって対応すべきだったと説明した。

ただし、「10年20年で廃炉になる原発に、対策費用をかけるのがなぜ必要なんだと反論が出た時に、説得するのが難しい」
とも述べた。その例として、東京を200年に1回の水害から守るスーパー堤防事業が、費用がかかりすぎるとして仕分けで廃
止されたことを挙げた。

その説得は、実は簡単だ。「原発ではそういう規則です」と言えばいいだけである。電力会社の費用負担に気兼ねして津波
対策の余裕を切り下げる必要は全くなかった。

2006年9月の耐震バックチェック開始以降、各電力会社が、十数万年に一度しか起きないような地震の揺れにまで備えた
対策を、場合によっては数百億円以上もかけて進めていたことを、首藤氏は知らなかったのだろうか。そして、各電力会社
の株主総会で「あと10年しか使わない原発の補強は無駄だから止めろ」という声は出ていなかった。

河川堤防のような一般防災と、原発防災では、求められている安全性能も費用対効果の考え方も全く異なる。それを首藤
氏は知らなかったのか、あえて混同して証言したのか、それはわからなかった。

*1 首藤伸夫「チ リ津波40周年―何をもたらし、何が変わったか―」自然災害科学 19-3 275-279
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10751435_po_ART0003295015.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
政府事故調 聴取結果書 首藤伸夫 2011年7月7日
http://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/255.pdf
など

*2 学生記事 大 先輩に伺う土木の学び―温故知新「10秒診察に注意せよ!―過去の災害の経験から今の防災を考える―」
語り手・首藤伸夫 土木学会誌2015年8月
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I026617323-00

*3 添田孝史「原 発と大津波―警告を葬った人々」p.42 岩波新書 2014

*4 中央防災会議 「日本海溝・千島海溝周辺型地震に関する専門調査会報告」2006年1月
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/senmon/nihonkaiko_chisimajishin/pdf/houkokusiryou2.pdf

刑 事裁判傍聴記:第15回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/06/15.html
崩された「くし歯防潮堤」の主張

6月12日の第15回公判の証人は、今村文彦・東北大学教授だった。今村教授は、東北大学の災害科学国際研究所長。
津波工学の第一人者で、原子力安全・保安院、地震調査研究推進本部(地震本部)、土木学会、中央防災会議で専門
家の委員として関わっていた(*1)。 福島第一原発事故に関わるすべての津波想定の審議に加わっていた重要な証人だ。

証言のポイントは3つあった。

1)「事故は防げな かった」とする被告人側の主張の柱を、今村教授の証言が崩した。今村教授は、地震本部の長期
評価(2002)の15.7m津波に備えようとすれば、福島第一1号機から4号機の建屋の前に、ある程度の高さの防潮壁を
設置することになり、それが設けてあれば、東日本大震災の津波も「かなり止められただろう」と述べた。
被告人側は、15.7m対策として防潮壁を設置するならば敷地南側、北側など一部に限られるため、それでは今回の津
波は防げなかったと主張していた。

2)一方で、「福島 沖でも津波地震が発生する」とした長期評価の信頼性について、今村教授は、「どこでも発生すると
する根拠はわかりませんでした」「少し荒っぽいという感じをうけていた」「直ちに対策をとるべきとは考えなかった」と
述べ、津波の予見可能性については、東電側の主張に沿った証言をした。

3)安全審査を担当 する今村教授が、規制を受ける側の東電と、何度も一対一で、審議の進め方などについて非公式
の場で話し合っていたことが明らかになった。その場で今村教授は、津波対策の先送りに「お墨付き」を与えていた。
本来は公開の審議会で、多様な分野の専門家で議論されるべきテーマだ。

◯「15.7m対策で、 311の津波も止められた」
今回の公判で一番注目されたシーンだろう。検察官役の久保内浩嗣弁護士の「長期評価の試算にもとづけば、どの
場所に鉛直壁(防潮壁)を設置するか」という質問に、今村教授は、敷地の北側と南側の一部だけでなく、1号機から
4号機の建屋前の全面に設置が必要だと、赤ペンで書き入れた(イメージ図)。

そして、そこにある程度の高さの防潮壁があれば、311時の津波も「かなり止められたと考えられる」と証言した。

これまで被告人側は、長期評価の津波対策としては建設するならば、敷地南側と北側を中心とした一部だけにクシ歯
のように防潮壁を配置したから、事故時の津波は防げなかったと主張していた。15.7m想定は敷地南側が最も津波が
高く、1号機から4号機の建屋前からは、津波は敷地を超えないので防潮壁は作る計画にはならなかった。東日本大
震災の時の津波は襲来する方向や高さが異なっていたから、それでは防げなかったという理由だ。

ところが今村教授は、津波の周期によっては、防波堤の内側の港の中で津波が増幅される可能性があるので、15.7m
想定の場合でも、1号機から4号機の前に全面的に、防潮壁を検討しなければならないと述べた。

被告人側が主張していた「事故は避けられなかった」とする根拠が、津波工学の第一人者によって崩されたことになる。

◯「長 期評価の根拠、わからない」
長期評価の信頼性については、弁護側の宮村啓太弁護士の質問に、以下のように否定的な意見を述べた。

宮村「長期評価で、津波地震が日本海溝沿いのどこでも発生する可能性があるとしたことについて」
今村「非常に違和感がありました。根拠はわかりませんでした」
宮村「日本海溝沿いは、同じ構造を持っていると言えるか」
今村「難しかったと思います」

ただし、今村教授は、事故前に土木学会が実施したアンケート(2004)では、次のように地震本部の見解に近い側に
回答していた。

「過去に発生例がある三陸沖と房総沖で津波地震が活動的で、他の領域は活動的でない」0.4
「三陸沖から房総沖までのどこでも津波地震が発生するという地震本部と同様の見解」0.6

土木学会が2009年に実施したアンケートでも同様に、福島沖でも津波地震が発生しうるとする見解に重きを置いて
いた。

「三陸沖と房総沖のみで発生するという見解」0.3
「津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さい(津波が小さい)とする見解」0.6
「津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する」0.1

また、今村教授は2007年3月から地震本部地震調査委員会のメンバーになっており、長期評価(2002)の改訂作業
にも加わっていた。この改訂は2011年の事故直前まで進められていたが、改訂版でも津波地震は福島沖を含む
どこでも起きるとされていた。これについて、議事録等を見ても、今村教授が「根拠がない」と異議を唱えていたことは
記録されていない。
今村教授は、アンケートについて「答えにくい選択肢だった」と述べたが、福島沖での津波地震が、後述するように
「1万年に1回も起きない」と考えていたようには見えない。

◯津波 工学の専門家だが、原子力規制の専門家ではない
2008年7月31日に、武藤栄元副社長が長期評価の対策を先延ばしし、土木学会の審議に委ねた、いわゆる
「ちゃぶ台返し」の妥当性について、今村教授は以下のように証言した。

宮村「まず土木学会で審議するのは妥当な手順か」
今村「合理性がある」
宮村「土木学会の議論を経ずに、直ちに対策工事を行うべきだと考えたか」
今村「考えていませんでした」
宮村「運転を停止すべきとは考えたか」
今村「そこまでの根拠、データ、知見はありませんでした」

また、裁判官の質問に対しても
「(長期評価を取り入れる)切迫性は感じていませんでした。現地での調査も重要と考えていて、少し時間がかかる
と思っていました」と答えた。

このやりとりを傍聴していて、今村教授の判断、行動には理解しにくい点がいくつもあった。

一つは、東電から「土木学会で時間をかけて審議し、そのあと対策をする」という説明を受け、保安院の審議会に
諮ることもなく了承したことだ。

バックチェックでは「施設(原発)の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適
切な津波を想定する」と定められていた(*2)。ここで「極めてま れ」とは、1万年に1回しか起きないような
津波のことを指すと解釈されていた(*3)

さらに、津波想定の見直しを含む、古い原発の耐震安全性のバックチェックは、耐震指針が改訂された2006年9月
から3年以内が締め切りだった。当時、指針を担当する原子力安全委員会の水間英城・審査指針課長は、電力各
社に対して「3年以内、(13か月に1回行う)定期検査2回以内でバックチェックを終えてほしい。
それでダメなら原子炉を停止して、再審査」と強く求めていた(*4)

福島沖の津波地震は、「1万年に1回以下のまれな津波」と判断される可能性はほとんどなかったのに、土木学会で
審議しなければならないと判断した根拠は、今村教授からは示されなかった。長期評価について専門家で議論が分
かれていることを今村教授は主張したが、1万年に1回も起きないとするだけの強い証拠は無かった。
そして、それは土木学会で検討するテーマではなく、地震学者の領域だ。

二つ目は、すぐに対策を始めず、土木学会で2012年までかけて審議しても良いと了承したことだ。
 「切迫性がなかった」「現地での調査が必要と考えた」と今村教授は述べたが、バックチェックで想定すべきと定めら
れた津波は「極めてまれな津波」で、「切迫している津波」ではない。また2007年には、原発から5キロ地点で、東電の
従来の想定(土木学会の手法による)では説明できない、大津波による津波堆積物がすでに
見つかっていた。

そんな状況のもとでも、時間をかけて土木学会で検討し、バックチェック期限を破っても「合理性」があったとする
根拠は何か。バックチェック期限を破って運転を続ける間、原発に一定の安全性は確保されていたのだろうか。

それらを判断するのは、津波工学が専門の今村教授だけではなく、公開の保安院の審議で、多様な専門家で
話し合って決めるべきだったはずだ。

今村教授は、規制対象の東電と、非公開の場で接触して、安全審査の方向性についてアドバイスしたり、先延
ばしを了承したりしていたことが、公判で示された東電社員との面談記録から明らかになった。

このような不透明な手続き、専門分野から踏み越えた領域での今村教授の「判断」が、事故につながっている。
そのような形で専門家を使った東電の狡猾さに、まんまと引っかかったとも言える。

*1 原子力安全・ 保安院で福島第一原発の耐震バックチェックの審査をする委員会に所属。
地震調査研究推進本部(地震本部)の地震調査委員会委員(2007〜)で、同委員会の津波評価部会長。
中央防災会議の日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会(2004〜)で委員。
土木学会の津波評価部会委員(1999〜)

*2 新耐震指針に 照らした既設発電用原子炉施設等の耐震安全性の評価及び確認に当たっての基本的な考え
方並びに評価手法及び確認基準について(2006年9月20日 原子力安全・保安院)のp.44
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8422832/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/shidai/taishintoku/taishintoku005/siryo5-3-1.pdf

*3 政府事故調  水間英城(元原子力安全委員会審査指針課長)聴取結果書
http://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/235.pdf

*4 鎭目宰司「漂 流する責任:原子力発電をめぐる力学を追う(上)」岩波『科学』2015年12月号p.1204

刑 事裁判傍聴記:第14回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/06/14.html
100%確実でなくとも価値はある

6月1日の第14回公判は、前々日に続き都司嘉宣・元東大准教授が証人だった。反対尋問を担当した岸秀光弁護
士は、歴史地震研究の「不確かさ」を際立たせようとした。それに対して都司氏は、100%確実ではない、ぼんやり
した部分も残る古文書から、地震についての情報を引き出していく学問の進め方を説明。「1611年、1677年、1896
年の3回、三陸沖から房総沖にかけての日本海溝沿いに津波地震が起きた」と長期評価が判断した理由を、前回
に引き続いて補強していった(*1)

◯悩ま しかった「宮古の僧が聞いた音」
都司氏は、1611年の大津波の原因を「現在は津波地震だと考えている」と証言したが、正断層地震や海底地すべり
が引き起こしたと考えた時期もあったと述べた。どれが原因なのか、都司氏を悩ませたのは、『宮古由来記』に書か
れた常安寺(岩手県宮古市)の僧の行動だったらしい。

1611年10月28日午後2時ごろ、常安寺の和尚は、法事のため寺から約1キロ離れた家にいたが、海の沖の方から
鳴動音が4、5度聞こえ、異常を感じてあわてて寺に引き返した。ここで大津波に襲われ、過去帳を取り出すまもなく
高所に逃げてようやく助かった(*2)。 この時の津波で宮古の中心市街はほとんど壊滅した。『宮古由来記』による
と、宮古では民家1100戸のうち残ったもの6軒、水死110人とされている。

「音がしたというのは、正断層型の昭和三陸地震(1933)の時にも報告されていて、太平洋プレートが日本海溝付近
でポキンと折れて生ずる正断層型地震の特徴」

と証言した。

一方で、1611年が本当に正断層型の地震であれば、揺れによる被害も古文書に残されているはずだ。

「ところが、陸上の被害に注目しながら、もう一回、多くの文献を読み直して見たが、陸上での被害が全くない」

これは津波地震の特徴である。

1998年にパプアニューギニアで海底地すべりが大津波を引き起こし、このときも「海で大きな音がした」という証言が
あったことから、地すべり説も考えたが(*3)、そうすると津波が明 治三陸津波より広範囲を襲ったことと矛盾する。
そこで、津波地震がもっとも可能性が高いとの結論が導かれたという。

「いろんなデータがはいってくるごとに自然科学の研究者は考えを改めることはある。変化しなきゃおかしい」

とも述べた。

◯「精 度が悪い=情報ゼロ」ではない
機械でしか観測できないような小さな地震まで含めると津波地震が福島沖を含む日本海溝沿いにずらりと並んで
いることを示した渡邊偉夫氏の論文(2003)(*4)についても、岸氏は都 司氏に質問した。

岸 「地震の起きている場所が、日本海溝より陸地に寄っているように見える」

都司「まだ全国に地震計が数台しかなかった明治時代の地震観測記録も含まれており、位置の精度が悪いものも
入っている」

岸 「なぜ精度が悪い論文を(法廷に)出してきたのですか」

この岸氏の質問に、都司氏は猛然と食ってかかった。

「まったく情報ゼロというわけではない」
「ぼんやりではあるが、一定の情報が引き出せる」
「あいまいさが含まれていれば全部消しちゃえ、とはやらない」

 その迫力に負けて、岸弁護士は話題を切り替えたように見えた。

理想的な観測機器が使えず、精度が高い記録が得られない状況でも、その限られた手段を用いてしぶとく自然の姿
の手がかりを捕まえようとするのが、最先端の科学者の「営み」だ。正解の固まった学校理科を習ってきた岸弁護士
(法学部出身)には、そんな科学者の生態を理解するのは難しかったのかもしれない。


*1 都司嘉宣「歴 史上に発生した津波地震」月刊地球 1994 年2月
*2 都司嘉宣「慶 長16年(1611)三陸沖地震津波の発生メカニズムの考察」歴史地震 第28号(2013)
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_28/HE28_168_168_Tsuji.pdf
*3 都司嘉宣「慶 長16年(1611)三陸津波の特異性」月刊地球 2003年5月
*4 渡邊偉夫「日 本近海における津波地震および逆津波地震の分布(序)」歴史地震 第19号
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_19/24-Watanabe.H.pdf

刑 事裁判傍聴記:第13回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/06/13.html
「歴史地震」のチカラ

5月30日の第13回公判の証人は、元東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣(つじ・よしのぶ)氏だった。都司氏
は古文書の記述を読み解いて昔の地震の姿を解き明かす「歴史地震」分野における数少ない専門家の一人だ。
「三陸沖北部から房総沖までの日本海溝寄りのどこでも津波地震は起こる」という長期評価(2002)をまとめた地
震本部の海溝型分科会にも加わっていた。

検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に都司氏が答える形で、都司氏の原著論文までたどり、長期評価がまとめ
られた過程で歴史地震研究がどんな役割を果たしたか明らかにしていった。

◯近代 地震学でわかるのは過去130年分ほど
地震計を使った近代的な地震観測が始まってから、まだ130年ほどしか経っていない。それより古い時代に起きた
地震の姿を知るには、古文書や石碑に残された揺れや津波の記録が不可欠になる。

古文書の記述から、揺れの様子、どこまで津波は到達したのか、被害はどのくらいだったのかを読み解き、地震
学の科学的な知識と照らし合わせて、地震の姿を解明するのが歴史地震学だ。都司氏は自ら毛筆体の文書を読
み、日本史の研究者とも協力して文書の記述内容を精査すると同時に、津波の数値計算などの専門知識も生かし
て、古い時代の津波の姿を復元してきた。それによって浮かび上がる地震の法則性を、防災に生かすことができ
るというのだ。

都司氏の証言によれば、東北地方で地震の記録が豊富に残っているのは約400年前からのことだ。江戸幕府の支
配で戦乱が起こらなくなり古文書が逸失しなくなったことや、寺子屋教育のおかげで字を書く人が増えたことが要因
という。

長期評価をとりまとめた海溝型分科会の専門家たちの間でも、当初は歴史地震の知識は限られている人が多かった
と都司氏と述べた。都司氏が、過去の地震について最新の研究成果を他の海溝分科会メンバーに提起。議論を重ね
るうちに意見は収束し、1611年(慶長三陸沖)、1677年(延宝房総沖)、1896年(明治三陸)の3つの地震が津波地震で
あるという結論が、最終的に承認されたと証言した。

◯古文 書が東海第二を救った
「1677年の地震は、津波地震であることがはっきりしている。津波が仙台の近くから八丈島まで到達した記録がある
ので、陸地に近いところで起きたという考え方では説明できない」

こう証言した都司氏は、今村文彦・東北大学教授らと共同で1677年の延宝房総沖地震について論文(*1)を発表して
おり、それも法廷で紹介された。まず古文書から福島県〜千葉県沿岸の村における津波による建物被害の記述を
選び出す。それと当時の建物棟数と比べて被害率をはじき出す。建物被害率50%以上の場合、浸水深さ2m以上と
算定し、村の標高も勘案して各地に到来した津波の高さを求めた(表)。

その結果、浸水高さは千葉県沿岸で3〜8m、茨城県沿岸で4.5〜6m、福島県沿岸で3.5mから7mなどと推定され、
1677年延宝房総沖地震は、従来考えられていたより高い津波をもたらしていたことがわかった。

調査の成果を生かして、茨城県は2007年に津波想定を見直した。それによると、日本原電東海第二原発(茨城県東
海村)では、予想される津波高さが5.72 mとなり、日本原電が土木学会手法(2002)で想定していた4.86mを上回った。

日本原電は海辺の側壁を1.2mかさあげする工事を始め、工事が終了したのは東日本大震災のわずか2日前だった。
襲来した津波は、かさ上げ前の側壁高さを40センチ上回っており、工事が終わっていなければ非常用発電機が動か
なくなるところだった。

歴史地震の研究成果が、東海第二を救ったと言える。一方、歴史地震の成果をとりこんだ長期評価を東電は軽視し、
大事故を引き起こしたのだ。

*1 竹内仁ら「延 宝房総沖地震津波の千葉県沿岸〜福島県沿岸での痕跡高調査」歴史地震 2007年
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_22/P053-059.pdf


刑 事裁判傍聴記:第12回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/05/12.html
「よくわからない」と「わからない」の違い

5月29日の第12回公判は、前回に引き続き島崎邦彦・東大名誉教授の証人尋問だった。

弁護側の岸秀光弁護士の反対尋問で始まった。「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのどこでも、マグニチュード(M)8.2
程度の津波地震が起こりうる」という長期評価(2002年)がまとめられた過程について、地震本部の長期評価部会や海
溝型分科会の議事録(*1)を もとに、岸弁護士は島崎氏に議論の様子について細かく質問を続けた。
特に、1611年の慶長三陸沖(M8.1)、1677年の延宝房総沖(M8.0)を津波地震と判断した根拠が、あいまいであることを
示そうとしていた。

議事録の中にある「三陸沖よりもっと北の千島沖で発生した津波ではないか」「房総沖の津波地震は、もっと陸よりで
起きたのではないか」などの専門家の発言を岸弁護士はとらえ、「長期評価に信頼性は無い」という東電幹部らの主張を
裏付けようと試みた。しかし、原発が無視してよいほど信頼性の低いものだと示すことは出来なかったように見えた。反対
尋問は予想より早く終わった。

◯「活 発な議論がある=信頼度は低い」?
岸弁護士は、専門家たちが活発に議論していた様子から、長期評価は唯一の正解である科学的評価ではないと言いた
かったようだ。

これに対し、島崎氏は、専門家の議論の様子を、「右に行ったり、左に行ったりしながら収束していく過程」と説明した。

「文字に残すと荒い、雑駁で不用意な発言に見えますけれども、みんなの意見が出やすいようにしている」
「1611年、1677年、1896年(明治三陸地震)と3回、津波が起きたのは事実。場所については議論が分かれているところも
あったが、だからといって長期評価から外してしまっては防災に役立てられない」

こんなふうに反論した。

◯津波地震とハルマゲド ン地震の違い
「証人自身も、歴史地震(地震計による観測がない1611年や1677年の地震)のことは、よくわからないと思っていたんじゃ
ないですか」

岸弁護士は、こんな質問も島崎氏に投げかけた。
島崎氏が会合でこう述べていたからだ。

「やはり歴史地震の研究が不十分なところがあって、そこまでは未だ研究が進んでいない。現在のことがわかっても昔の
ことがわからないと比較ができない。今後いろいろな人が興味を持っていただければと思っている」

島崎氏は岸氏にこう説明した。

「(歴史地震の研究は)重要なのに、地震学者の間でさえその認識が行き渡っていないことが問題だという意味」
「『よくわからない』と、『わからない』は違う。震源域(断層がずれ動いた場所)が図にかけるほどわかっているわけではない。
しかし全体的に見ていくと、津波地震である」

本当にわかっていなかったことの例として島崎氏が説明したのは、津波地震とは全く別の、ハルマゲドン地震だ。
天変地異を引き起こす超巨大地震のため、こう呼ばれていた。
東北地方の日本海溝沿いでは、歴史上知られている規模をはるかに超える、陸地を一気に隆起させてしまうようなハルマゲ
ドン地震が発生する可能性があることは1990年代後半から論文で指摘されていた。それは、東日本大震災を引き起こした
M9の地震の手がかりを、おぼろげながらつかんでいたとも言える。長期評価では「しかし、このような地震については、三陸
沖から房総沖において過去に実際に発生していたかどうかを含め未解明の部分が多いため、本報告では評価対象としない
こととした」というコメントの記載にとどまっていた(*2)

一方、島崎氏は、M8クラスの津波地震については地震のイメージを持てていたと述べた。それを超える、理学的に可能性が
あるが姿が見えないハルマゲドン地震に比べると、津波地震のことはわかっていた。だからこそ、長期評価は津波地震につ
いては警告していたわけだ。

◯「異 常な動き」を見せた専門家
この日の最後は、検察官役の久保内浩嗣弁護士からの質問で、大竹政和・東北大学教授(当時)と長期評価の関連について、
島崎氏が証言した。大竹氏は、そのころ原子力安全委員会原子炉安全審査会委員や、日本電気協会で原発の耐震設計に
関わる部会の委員を務めており、原発と縁の深い地震学者だ。
大竹氏は、長期評価が発表された直後の2002年8月8日に「1611年の地震は津波地震ではなく、正断層の地震(太平洋プレート
が日本海溝付近で折れ曲がることによって生ずる)ではないか、今回の評価はこれまでに比べて信頼度が低い」などとする意見
を、地震本部地震調査委員会委員長宛に送っていた(*3)
そして、2002年12月から始まった日本海東縁部のプレート境界付近で起きる地震の長期評価の議論に、委員ではない大竹氏が
ずっと出席したことを

「異常なことだと思いました」
「地震の評価を巡って大竹氏が突然激昂されたこともあった」

と証言。このプレート境界に近く、長期評価の影響を受ける東電柏崎刈羽原発との関連を示唆した。

*1 地震本部長期 評価部会海溝型分科会の第7回(2001年10月29日)から第13回(2002年6月18日)までの論点メモ
http://media-risk.cocolog-nifty.com/soeda/2014/01/post-61b6.html

*2 地震本部「三 陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」2002年7月
https://www.jishin.go.jp/main/chousa/kaikou_pdf/sanriku_boso.pdf  のp.22

*3 島崎邦彦「予 測されたにもかかわらず、被害想定から外された巨大津波」『科学』2011年10月
https://ci.nii.ac.jp/naid/40018989811
https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=32422


刑 事裁判傍聴記:第11回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2018/05/11.html
多くの命、救えたはずだった

5月9日の第11回公判には、証人として島崎邦彦・東京大学名誉教授が登場した。
島崎氏は1989年から2009年まで東大地震研究所教授。また、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が1995年に創設
されてから2012年まで17年間にわたって地震本部の長期評価部会長で、その下部組織である海溝型分科会の主査も務め
ていた。政府として公式に地震リスク評価を公表する仕組みをつくり、普及させてきた中心人物だ。

そして、2012年から14年までは初代の原子力規制委員会委員長代理として、地震や火山の規制基準づくりも手がけた。
地震リスク評価の第一人者というだけでなく、それに電力会社がどう対応するのか、という電力業界の実態にも詳しい。

島崎氏は、この日の公判では検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に答えて、主に以下の三つの項目について証言した。

1.長期評価の詳し い内容と、とりまとめの経緯。長期評価の報告書や、会合の議事録を読み解きながら、前回の公判
で長期評価の事務局を務めていた前田憲二氏が説明した内容を、さらに詳しく説明した。

2.
長期評価の信頼性について。長期評価(2002)は、「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」の領域のどこでも、マグニチュード
8.2前後の地震が発生する可能性があり、その確率が今後30年以内に20%程度と予測した。この評価について、信頼度は
「発生領域 C  地震の規模 A  発生確率 C 」とされているが、その意味を解き明かした。

3.
長期評価の公表に圧力がかかったり、発表が延期されたりした不可思議な事件。島崎氏は推測であると断った上
で、「原子力に関係した配慮があったに違いない」と述べた。
それぞれ、もう少し詳しく見ていこう。

◯複数 の専門家で「もっとも起きやすい地震」評価
島崎氏は、長期評価がさまざまな分野の研究者の議論でまとめられた過程を説明した。地震の観測、得られた地震波の解析、
古文書から歴史地震を読み解く、GPSを使った測地学、地質学、地形学、津波などの領域の研究者たちが関わる。独自性を
尊ぶ研究者たちは、本来みな考え方が違う。その意見を最大公約数的にとりまとめ、「最も起きやすそうな地震を評価してきた」
と島崎氏は述べた。

長期評価(2002)は、主に地震本部の海溝型分科会で、2001年10月(第7回)から2002年6月(第13回)にかけて議論された。
その様子が記録された「論点メモ」を法廷でスクリーンに映しだし、長期評価がまとめられていく過程が細かく説明された。

◯信頼 度は「数値に幅がある」という意味
久保内弁護士と島崎氏は、長期評価で使われる「信頼度」という用語についても、はっきりさせていった。
長期評価(2002)による「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのプレート間大地震(津波地震)」の信頼度は、

発生領域の評価 C
規模の評価   A
発生確率の評価 C

とされていた(*1)
一方、南海トラフの地震は三項目ともAだ。
「南海トラフと比べて、対策は抑制的で良いということか」という久保内弁護士の質問に、島崎氏は「不適切です」と断言し、
こう説明した。

「地震が起こることに違いはありません。たとえば発生確率の『信頼度』がCというのは、数値に誤差が大きいということ。
確率20%は、本当は10%〜30%かもしれないということ。十分、注意しなければならない大きさです。当然、備える必要が
あることを示しています」 

発生確率の信頼度は、地震発生が予測される領域でこれまで何回地震が発生した記録があるかで決められる。前日に
開かれた公判でも、証人の前田憲二氏は、「発生確率の信頼度は、地震発生の切迫度を表すのではなく、確率の値の
確からしさを表すことに注意する必要がある」 (*2)という長期評価の注意 書きについて強調していた。
今後の公判でも、「信頼度」と「切迫性」の別は、注意する必要がありそうだ。

◯不可解な三つの事件、 原子力への「配慮」?
島崎氏は、長期評価をめぐる三つの不可解な事件についても証言した。
最初の事件は、長期評価(2002)が公表される6日前、2002年7月25日に起きた。内閣府の参事官補佐(地震・火山対策
担当)から、長期評価の事務局を務めていた前田氏に、「今回の発表を見送れ」という、以下のようなメールが届いたのだ。

三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について、内閣府の中で上と相談したところ、非常に問題が大きく、
今回の発表は見送り、取り扱いについて政策委員会で検討したあとに、それに沿って行われるべきである、との意見が強く、
このため、できればそのようにしていただきたい。これまでの調査委員会の過程等を踏まえ、やむを得ず、今月中に発表
する場合においても、最低限表紙を添付ファイルのように修正(追加)し、概要版についても同じ文章を追加するよう強く申
し入れます。

地震本部の事務局は、内閣府と何度もやりとりをした後に、内閣府の「申し入れ」に従って、以下の文言を長期評価の表紙
に入れることを決めた。

なお、今回の評価は、現在までに得られている最新の知見を用いて最善と思われる手法により行ったものではあるが、データ
として用いる過去地震に関する資料が十分にないこと等のため評価には限界があり、評価結果である地震発生確率や予想
される次の地震の規模の数値には相当の誤差を含んでおり、決定論的に示しているものではない。このように整理した地震
発生確率は必ずしも地震発生の切迫性を保障できるものではなく、防災対策の検討に当っては十分注意することが必要である。

この文言を入れることを前田氏からメールで知らされた島崎氏は、「科学的ではないのでおかしいと思って、前田氏の
上司の担当課長に電話して、文言を付け加えるぐらいなら出さない方がいい、反対ですと伝えたが、けんか別れに終わ
った」と証言した。内閣府からのメールについては、前田氏自身も「公表の直前だったので面食らった」と証言している。

◯中央 防災会議は福島を軽視した
二つ目の事件は、2004年に起きた。「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのどこでも津波地震が起きうる」という長期評価を、
中央防災会議(事務局・内閣府)が採用しなかったのだ(*3)

島崎氏は「中央防災会議は、(長期評価と)真逆の、誤った評価で防災計画をすることを決めた」と証言。中央防災会議が
長期評価を尊重しなかった理由について、「原子力に関係した配慮があったのではないか」という推測を述べた。「長期評価
によれば、(三陸沖から房総沖にかけての)原子力施設は、どこでも10mを超える津波対策を取らないといけない。これが
中央防災会議で決まったら大変で、困人がいる」という理由だ。

結局、中央防災会議は、福島沖の津波地震を「過去400年間起きていないから、そこで起きると保障できない」として対策から
外した。一方で、首都直下地震については、過去に起きた記録のないプレート境界の領域にも震源を想定し、対策を検討して
きた(*4) 。 そのような違いがあったことを中央防災会議の専門委員でもあった島崎氏は明らかにし、こう証言た。
「長期評価に従って防災を進めておけば、18000有余の命はかなり救われただけでなく、原発事故も起きなかったと私は思いす」。

◯大地 震の2日前、警告できたかもしれない
三つ目の事件は、2011年3月9日に予定されていた長期評価第二版の発表が、同年4月に延期されてしまったことだ。島崎氏
は同年2月に「自治体と電力会社に事前説明したい。4月に延期したい」と地震本部事務局から連絡を受けた。

第二版には、2005年以降に仙台平野や、福島第一原発から5キロ離れた浪江町などで見つかった津波堆積物調査の成果が
反映され、新たな地震の警告が加えられていた。以下のような記述だ。

宮城県中南部から福島県中部にかけての沿岸で、巨大津波による津波堆積物が過去2500年間で4回堆積しており、そのうち
の一つが869年の地震(貞観地震)によるものとして確認された。最新は西暦1500年頃の津波堆積物で、貞観地震のものと
同様に広い範囲で分布していることが確認された。これらの地域では、巨大津波が複数回襲来したことに留意する必要がある。

「本来なら3月9日夜のテレビと10日の朝刊に、内陸3〜4キロまで達する津波の警告が載ったでしょう。11日の地震で『ひょっと
してあれか』と思って、何人かの方は助かったに違いない。なんで4月に延期したのか、自分を責めました」。島崎氏は証言台で
声を詰まらせた。

本来の発表予定だった3月9日の6日前、地震本部の事務局は、ほぼ完成していた長期評価第二版を東京電力、東北電力、日本
原電の3社に見せていた。その場で、東電の担当者は「貞観地震が繰り返し発生しているかのようにも見えるので、表現を工夫し
ていただきたい」と要望。地震本部事務局の担当者はこれに応じ、島崎氏ら委員に無断で、修正を加えていた(*5)
公開前に電力会社に見せて修正の機会を設けたことと、発表延期に関係があるのかは、明らかになっていない。

*1 
プレートの沈み込みに伴う大地震に関す る長期評価の信頼度について(2003年3月24日)
https://www.jishin.go.jp/main/chousa/03mar_chishima/kaisetsu.pdf
*2 
地震本部地震調査委員会「千島海溝沿い の地震活動の長期評価について」2003年3月24日  p.15  注4
https://www.jishin.go.jp/main/chousa/kaikou_pdf/chishima.pdf
*3 
添田孝史『原発と大津波 警告を葬った 人々』岩波新書(2014) p.63〜68
     
中央防災会議「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報 告」2006年1月
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/senmon/nihonkaiko_chisimajishin/pdf/houkokusiryou2.pdf
*4 
中央防災会議「首都直下地震対策専門調 査会報告」2005年7月
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/senmon/shutochokkajishinsenmon/pdf/houkoku.pdf
*5 
経緯は、以下の文献に詳しい。
橋本学・島崎邦彦・鷺谷威「2011年3月3日の地震調査研究推進本部事務局と電力事業者による日本海溝の長期評価に関する
情報交換会の経緯と問題点」『日本の原子力発電と地球科学』日本地震学会モノグラフ2015年3月、p.34
http://www.zisin.jp/publications/pdf/monograph2015.pdf

刑 事裁判傍聴記:第10回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2018/05/10.html
「長期評価は信頼できない」って本当?
5月8日の第10回公判は、気象庁の前田憲二氏が証人だった。前田氏は2002年から04年まで文部科学省に出向し、地震調査
研究推進本部(地震本部)の事務局で地震調査管理官として長期評価をとりまとめていた。前田氏はその後、気象庁気象研究
所地震津波研究部長などを歴任。04年から17年までは地震本部で長期評価部会の委員も務めていた。地震の確率に関する
研究で京大の博士号も持つ「気象庁の地震のプロ」である。

◯「長期評価」は阪神・ 淡路大震災がきっかけ
公判では、検察官役の神山啓史弁護士と前田氏のやりとりで、「地震本部とは何か」「地震本部はどんなプロセスで長期評価
をまとめるのか」などを一から明らかにしていった。長期評価は、2008年に東電が計算した15.7mの津波予測のもとになってい
る。この裁判で、もっとも土台となる事実の基礎固めをする証人だった。

前田氏は、「1995年の阪神・淡路大震災で6千人を超える死者があった。課題の一つは、学者の間では関西でもいつ大地震
起こってもおかしくないというのが常識だったのに、一般市民には伝わっておらず、認識のギャップがあったことだ」と説明。
その解決策として、地震本部、そして長期評価の仕組みが作られたと述べた。
「研究者がまちまちに明らかにしていた研究成果を、国として一元的にとりまとめる。地震防災対策を政府や民間にしてもらう
ため、危険度を出すのが長期評価の目的」と話した。

◯三段階で熟議する長期 評価
長期評価のとりまとめ方も念入りだ。前田氏によると、裁判で焦点となっている長期評価「三陸沖から房総沖にかけての地震
活動の長期評価について」(2002年7月31日)(*1) の場合、

1.地震本部の海溝 型分科会でたたき台をつくる。この分科会には、海で起きる地震に詳しい大学や国の研究機関の研究者ら
13人が集まり、月1回程度会合を開いている(人数は2002年7月当時、名簿は文末の*2参照 )。
2.分科会で作成さ れた案は、さらに地震本部長期評価部会に上げられ、もう一度議論される。長期評価部会のメンバーは12人、
こちらも月1回程度開催される。
3.ここで練られた 案は、さらに上部組織である地震本部地震調査委員会(15人)が見直し、検討する。

という3段階で多数の研究者が議論してまとめられた。その結果、長期評価(2002)では、「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」
の領域(地図参照)のどこでも、マグニチュード8.2前後の地震が発生する可能性があり、その確率が今後30年以内に20%程度
と予測した。1896年の明治三陸地震、1611年の慶長三陸地震、1677年の延宝房総沖地震という三つの津波地震がこの領域で
起きていることから、海底が同じ構造になっている福島沖でも同様に発生する可能性があると考えられたからだ。「どこでも起き
るという評価は、全員一致で承認されたのか」という神山弁護士の質問に、前田氏は「そうですね。はっきり意見が出されて紛糾
してはいない」と答えた。 長期評価(2002)は、2011年3月の東日本大震災直前に改訂作業が進められていたが、その案でも、
「どこでも起きる」という評価は見直されていなかった。また東日本大震災の発生後に改訂された長期評価第2版(2011)でも、変
わっていない。公判で明らかにされたその事実からも、この評価が揺らいでいないことがわかる。

◯「不都合なデータ」も考慮した

弁護側の反対尋問は、岸秀光弁護士が主に担当した。岸弁護士は、「1677年の地震は海溝寄りの領域で発生したものではない」
「1611年の地震の発生場所は定かではない」「海溝寄りの領域でも北部と南部では微小地震の起き方が異なる」などのデータが
あったことを取り上げ、長期評価は不確実で信頼度が低かったのではないかと問いただした。前田氏は、海溝寄りの領域について
は、同じ地震が同じ場所で繰り返し起きているというデータは無いので、他の領域とは評価の性質に異なる特徴があると説明。
そして、岸弁護士が挙げたデータも地震本部の議論で取り上げているものの、それでも結論を覆すだけの根拠にはなっていないと
答えた。長期評価の信頼度に関しては、東電や国を被告とする民事訴訟でも同じような議論が、すでに何年も繰り返されている。
それを超える「オー」と思わされるような新たな事実や論点は、今回の公判では弁護側から出てこなかった。

*1
https://www.jishin.go.jp/main/chousa/kaikou_pdf/sanriku_boso.pdf
*2
https://jishin.go.jp/main/chousa/05mar_yosokuchizu/shubun-4.pdf のp.114以降

刑 事裁判傍聴記:第9回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2018/04/blog-post_28.html
切迫感は無かった」の虚しさ
4月27日の第9回公判は、前回に引き続いて、津波評価を担当する本店原子力設備管理部土木グループ(2008年7月からは
土木調査グループ)を統括していた酒井俊朗氏が証人だった。
裁判官とこんなやりとりがあった。
裁判官「早急に対策を取らないといけない雰囲気ではなかったのか」
酒井「東海、東南海、南海地震のように切迫感のある公表内容ではなかったので、切迫感を持って考えていたわけではない」
裁判官「15.7mが現実的な数字と考えていたわけではないのか」
酒井「原子力の場合、普通は起こり得ないと思うような、あまりに保守的なことも考えさせられている。本当は、起きても15mも
無いんじゃないかとも考えていた」

高い津波は、切迫感がある現実的なものとは認識していなかった。だから罪はない、と主張しているように聞こえた。

東電幹部が乗用車の運転をしていて、それによる事故の責任を問われているならばこの論理も説得力を持つだろう。しかし責
任を問われているのは、原子力発電所の「安全運転」についてだ。事故の死者は交通事故の数万倍になる可能性もあり、東
日本に人が住めなくなる事態さえ引き起こすのである。はるかに高い注意義務がある。

そのため、普通は起こり得ないようなことまで想定することが原発の設計では国際的なルールになっている。具体的には、酒井
氏が説明したように、10万年に1回しか大事故を引き起こさないように安全性を高めなければならない。
数十年間の運転中に起きる確率は低いから、その津波に切迫性は無い。あるいは、これまで福島沖で発生したことは過去400
年の文書には残っていないから現実感は無い。そんな程度では、高い津波にすぐに備えない理由にならないのだ。

◯地震 本部の長期評価(2002)は根拠がない?
相変わらず弁護側の宮村啓太弁護士の尋問の進め方はわかりやすかった。法廷のスクリーンで映し出すグラフの縦軸、横軸
の読み方を丁寧に説明するなど、プレゼンテーションのツボがおさえられている。原発のリスクを示す指標である確率論的リス
ク評価(PRA)について、宮村弁護士の解き明かし方は、これまで聞いた中で一番わかりやすかった。PRAの専門家である酒井
氏が「あなたの説明がよっぽどわかりやすい」と認めたほどだった。

そのプレゼン術で、宮村弁護士は、地震本部の長期評価(2002)の信頼性は低いと印象づけようとしているように見えた。
宮村「長期評価をどうとらえたのですか」
酒井「ちょっと乱暴だと思いました。これは判断であって、根拠が無いと思っていました」
言葉を変えながら、こんなやりとりが何度も繰り返された。

そして、宮村弁護士と酒井氏が時間をかけて説明したのが、米国で行われている原子力のリスク評価の方法だ。法廷では、
酒井氏が電力中央研究所でまとめた研究報告(*1)が紹介された。
酒井氏は、どんな地震が起きるか専門家の間で考え方が分かれている時は、専門家同士が共通のデータをもとに議論すること
が大切であると強調した。
 不思議なのは、酒井氏の研究報告が「長期評価の信頼性が低い」という弁護側主張と矛盾していることだ。長期評価(2002)は、
文部科学省の事務局が集めた共通のデータをもとに専門家が議論して、地震の評価を決めている。酒井氏の推薦する方法その
ものである。一方、東電が福島沖の津波について2008年に実施したのは、個々の専門家に、共通のデータを与えることなく、意見
を聞いてまわる調査方法だった。「米国では問題があるとして使われなくなった」と酒井氏が証言した方法そのものである。
酒井氏の証言には、こんな「あれっ」と思わされる論理のおかしさがあちこちに潜んでいた。

◯東北 電力も高い津波を予測していた
この日の公判で、東電や東北電力が事故後7年も隠していた新しい事実も明らかにされた。2008年3月5日に、東電、東北電力、
日本原電などが参加して開かれた「津波バックチェックに関する打合せ」の議事記録である。

これによると、東北電力の女川原発も、地震本部の長期評価(2002)の考え方に基づき、これまで発生した記録のない宮城県沖
から福島県沖にまたがる領域でM8.5の津波地震を想定していた。東電だけでなく東北電力も、明治三陸沖地震(1896)のような
津波地震が、もっと南で起きる可能性を検討していたのだ。この場合、女川原発での津波高さは22.79mの津波と計算されていた。

長期評価によれば、女川(敷地高14.8m)も水没すると予測されていたのである。2008年3月時点では、東電は長期評価を取り込
む方向で動いていたが、それに対して東北電力は難色を示した可能性がある。

◯完全 に手詰まりだった
「津波対策のため原子炉の運転を停止すべきであると考えたことはあるか」という質問に、酒井氏は「ありません」と言い切った。
「何かしらの指示が出されれば止めて対策というのは、どこの国もしていない。運転中に評価をして対策を取るのがスタンダード
だと今も思っている」と証言した。しかし、運転継続しながら対策を取るのは、「一定の安全性が保障されていること」が前提だ。
それは酒井氏自身も認めた。
耐震バックチェック(古い原発の安全性再確認)は2006年9月に開始され、揺れについての報告書(中間報告書)を、各電力会社
が2008年3月に提出した。運転しながら確認作業は進められたが、旧来の想定を超えても、重要部分はすぐには壊れない余裕が
あることを電力会社はあらかじめ確かめていた。
ところが津波は違う。古い想定に余裕はなかった。新想定が数cm高く見直されるだけで、その想定津波のもとでは非常用発電機
など最重要設備が動かなくなる。それなのに運転しながら対策を進めることは、リスク管理上とても許容されることではない。

事故の4日前、2011年3月7日、東電は保安院から津波対策を早急に進めるよう迫られていた。翌月には地震本部が貞観地震が
再来する可能性について報告書を公開する手続きを進めており、地元自治体への説明も始めていた。
「地震本部が予測する貞観地震に、原発は耐えられるのか」と地元から問われた時、困った事態に陥る。東北電力は安全性をす
でに確かめ、2010年にはこっそり報告書をまとめていた。ところが福島第一は非常用発電機や原子炉を冷やすポンプが動かなく
なる。それが露見したら、運転継続は難しくなる。
もし、すぐには問題に気づかれなかったとしても、その先の見通しも暗かった。2016年までには津波対策を終える予定としていた
が、その工法に目処は経っていなかったのだ。
そんな八方塞がりのもと、東電は漫然と福島第一の運転を続けて、事故の日を迎えた。

酒井氏は、福島第一を襲った大津波について「想定で考えているからといって、やっぱり来たかというより、びっくりしました」と述べた。
大津波の4年前、東電の柏崎刈羽原発が震度7の直下地震に襲われたばかりだった。酒井氏は、その原因になった活断層評価
もとりまとめていた。そして福島第一の津波である。これも自分が想定評価の責任者。自分が調査を担う東電の原発ばかりが、
めったに起きないはずの地震に連続して襲われことは無かろうと、高をくくっていたのではないだろうか。

(*1) 酒井俊朗「確率論的地震動ハザード評価の高度化に関する調査・分析―米国SSHACガイドラインの適用に向けて」2016年
7月 電力中央研究所報告調査報告:O15008
https://criepi.denken.or.jp/jp/kenkikaku/report/download/QWlp5J6qglDSQZkjONm5eJTmvYInxMRl/O15008.pdf

刑 事裁判傍聴記:第8回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2018/04/blog-post_25.html
「2年4か 月、何も対策は進まなかった」

4月24日の第8回公判は、128人の希望者から抽選で選ばれた66人が法廷で傍聴した。
この日の証人は酒井俊朗氏。酒井氏は、第5回から第7回までの公判で証言した高尾誠氏の上司だった。

酒井氏は1983年に東電に入社。1986年に本店原子力建設部土木建築課に配属された。それ以降、組織改編で所属先の名前
は「原子力技術・品質安全部土木グループ」「原子力設備管理部土木グループ」などと変わったが、ずっと原発の津波や活断層
評価の仕事に携わってきた。2006年7月に土木グループを統括するグループマネージャーになり、事故前年2010年6月まで務めた。
現在は電力中央研究所に所属している。

酒井氏も、高尾氏と同じように、地震本部の長期評価(2002)に基づく15.7mの津波を想定する必要があると2007年段階から考え
ていたと証言した。原発の安全性を審査する専門家の意向を踏まえると不可欠というのが大きな理由だった。

ところが慣例として、審査までには対策工事を終えていなければならない。大がかりな対策工事は目立つから、着手する段階で、
新しい津波想定の高さを公表する必要がある。東電は運転を止めないまま工事したい。しかし従来の津波想定より約3倍も大きな
値を公表した途端、「運転を止めて工事するべきではないか」と、当然住民は思う。それに対し、運転を続けながら工事しても安全
だと説得できる理由が見つからない。

そして、ずるずると数値の公表と対策実行は遅れた。酒井氏の証言で、そんな東電の社内事情が明らかにされた。
「(15.7mが算出された)2008年3月から(担当を外れるまでの)2年以上、何も対策は出来ていなかったのではないか」という検察官
役の渋村晴子弁護士の質問に、酒井氏は「私の知る限り対策の検討は進んでいない」と答えた。

酒井氏は、「(津波対策の工事が必要になることは)120%確実だと思っていました」とも証言した。浸水で壊れた後に冷却再開する
ため、予備のポンプモーターを用意するなど暫定策が社内で挙げられていた証拠も示された。しかし、そんな簡単で安くて早い対策
さえ、事故時まで何一つ実行されていなかった。

◯今村東北大教授の意 向、大きかった
酒井氏は、15.7mの想定を避けられないと考えた理由として、今村文彦・東北大教授の意向を挙げた。今村教授は、原子力安全・
保安院で、古い原発の安全性を確かめる耐震バックチェックの審査に加わっていた。酒井氏は、今村教授について「無理難題を言
わない、バランスがとても良い方」だと証言。2008年2月、今村教授に高尾氏が面談し、その際に今村教授は「福島県沖海溝沿いで
大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮すべきである」と指摘していた。

酒井氏は「この話を聞くまでは、社内の意思決定結果に基づいて、それで津波対応に臨めばいいと考えていた。しかし、審査する人
が入れろといってるんだから、入れざるを得ない。審判が言っているのだから、絶対だ。入れなきゃ(審査に)通らない」と述べた。

◯「土木学会は時間稼 ぎ」の認識
注目されたのは、酒井氏が土木学会に審議してもらうことを「時間稼ぎ」と認識していた、と証言したことだ。

2008年夏には、15.7m予測とは別に、研究が進んだ869年貞観地震の再来も懸念されるようになってきていた。これについて、酒井氏
は2008年8月18日、部下にこんなメールを送っていた。
「869年の再評価は、津波堆積物調査結果に基づく確実度の高い新知見ではないかと思い、これについてさらに電共研で時間を稼ぐ、
は厳しくないか」。

電共研とは「電力共通研究」の略で、電力会社がお金を出し合ってシンクタンクなどに資料集めや解析作業を依頼し、それをもとに
土木学会で専門家に審議してもらう仕組みだ。
2008年7月31日に、酒井氏の上司で被告人の武藤氏は、15.7m予測をすぐには対策に取り入れず、電共研で3年ぐらいかけて審議し
てもらう方針を決めていた。

渋村弁護士が「7月31日の決定も感覚的に『時間稼ぎ』と思っていたのか」と尋ねると、酒井氏は「そうかもしれない」と否定しなかった。
その瞬間、傍聴席からは低く「オー」と声が漏れた。

◯カギ握る「武藤氏の1 か月半」
酒井氏や高尾氏ら津波想定の担当者らは2008年6月10日に、武藤氏に15.7m想定を取り入れるべき理由や対策工事の検討内容を
説明した。酒井氏の証言によれば、この時は説明途中で一つ一つかなり技術的な質問が武藤氏からあり、一時間半ぐらいかかった。

2回目の説明が、約1か月半後の7月31日だった。今度は、ほとんど質問も挟まず30分ぐらいの説明を聞いた後、すぐに武藤氏が対
策着手先送り(ちゃぶ台返し)の方針を酒井氏らに伝えた。

酒井氏は「6月10日から1か月以上経っていたから、こういう方向性でものごとを考えられていたんだなと思いました」と証言。そして、
それは酒井氏らが考えていた、対策を進めるというシナリオとは異なっていた、とも述べた。

この間7月21日には、武藤氏、武黒氏らが出席して「中越沖地震対応打合せ」(いわゆる御前会議、ただしこの回は勝俣氏は欠席)
も開かれていた。この回には、2007年の地震で大きな被害を受けた柏崎刈羽原発の耐震強化にかかる費用が巨額になること、そ
れと同等の対策を福島第一、第二に施すのにかかる費用が「概算900億円、ただし津波対策を除く」と報告されていた。

6月10日から7月31日の間に、武藤氏は何を考え、誰と相談し、「ちゃぶ台返し」の方針を決めたのだろう。巨額の対策経費や、対策
工事の間、福島第一、第二の計10基が止まるリスクがあることは、武藤氏の判断に、どう影響を与えたのか。それらを解き明かして
いくことが、裁判で今後の一つのカギになりそうだ。

刑 事裁判傍聴記:第7回公判(添田孝史)  http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2018/04/blog-post_19.html
「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ

4月17日の第7回公判は、希望者170 人から抽選で選ばれた65人が傍聴した。
この日は、10日、11日に引き続き東電・高尾誠氏の3回目の証人尋問。弁護側の宮村啓太弁護士が反対尋問を続け、その後、
検察官役の神山啓史弁護士らが再主尋問、さらに裁判官が質問した。

高尾氏の証言を聞いていると、2007年以降の福島第一原発は、ブレーキの効かない古い自動車のようだった。
ブレーキ性能(津波対策)が十分でないことは東電にはわかっていた。2009年が車検(バックチェック締め切り)で、その時までに
ブレーキを最新の性能に適合させないと運転停止にするよ、と原子力安全委員会からは警告されていた。ところがブレーキ改良
(津波対策工事)は大がかりになると見込まれ、車検の日に間に合いそうにない。そこで「あとでちゃんとしますから」と専門家たち
を言いくるめて車検時期を勝手に先延ばしした。「急ブレーキが必要になる機会(津波)は数百年に一度だから、切迫性はない」と
甘くみた。
一方、お隣の東北電力や日本原電は車検の準備を2008年には終えていた。それを公表されると、東電だけ遅れているのがばれ
る。東電は「同一歩調を取れ」と他社に圧力をかけて車検を一斉に遅らせた。
そして2011年3月11日。東電だけは予測通りブレーキ性能が足りず、大事故を起こした、という顛末だ。以下、細かくみていこう。

目次
土木学会を言い訳にしたのは東電だけ
長期評価の対策で事故は防げなかった?
「運転停止」の可能性を恐れる
3回のまとめ

◯土木学会を言い訳にし たのは東電 だけ
宮村弁護士は「武藤氏は、福島沖でどんな津波を想定すべきか土木学会に審議を依頼した。2012 年10月にまとまる予定だった
その結果が厳しいものであろうとも、それに従い、対策を行うことにしていた。その東電の方針に、多くの専門家から異論は出な
かった」という事実を、当時の会合記録や高尾氏の証言から固めていった。
権威ある学会に検討してもらい、その結果に素直に従って対策をとる。その進め方に専門家の同意も得た。ここだけ聞いていると、
武藤氏は悪くなかったのではないかという主張も説得力を持つように見える。話がわかりやすく、喋り方も明瞭で、資料の使い方も
うまい宮村弁護士の話に引き込まれると、ますますそう思えてくる。

しかし注意深くみていくと、その論理はところどころ破綻している。

一つは、そもそも土木学会に審議してもらう必要性は全くなかった、ということだ。2008年7月31日に武藤氏が津波対策の先延ばし、
いわゆる「ちゃぶ台返し」を決めた時の会合資料によれば、東北電力女川原発と日本原電東海第二原発は、どちらも2008年12月
に津波想定の見直しや対策も含めたバックチェック最終報告を提出する予定だった。

東北電力は、土木学会が2002年にまとめたマニュアル(津波評価技術、土木学会手法、青本とも呼ばれる)では想定していない
貞観地震をバックチェック最終報告には取り入れていた。長谷川昭・東北大教授の「過去に起きた最大規模の地震を考慮すること
が重要であり、867年貞観地震の津波も考慮すべきである」という意見をもとにしていた。貞観地震を想定すべきかどうか、土木学
会で審議してもらう必要がある、などとは考えていなかった。
日本原電も、土木学会手法(2002)より大きな茨城県の想定(2007)を取り入れていた。その採用にあたって、やはり土木学会の
審議が必要とは考えていなかった。「土木学会に時間をかけて審議してもらう」と言ったのは、東電だけなのだ。

地震動(ゆれ)のバックチェックと較べても、土木学会に委ねる必要がないことはわかる。東電では建築グループが揺れの想定を
決め、土木調査グループが津波の想定を決める。建築グループは揺れの想定を決める際に、地震本部の長期評価(2002)を取り
入れたが、その際に学会で審議してもらったわけではなく、自社の判断で決めている。なぜ、津波は長期評価を取り入れるかどうか、
土木学会に判断してもらわないといけなかったのだろうか。土木調査グループが「不可避」と考えていた想定を、3年もかけて検討し
てもらう理由が見当たらない。
土木学会における審議の実態については、石田省三郎弁護士が尋問の中で明らかにしていった。それは電力会社が主体となって
おり、とても「第三者の審議組織」とは言えないものだ。土木学会津波評価部会で幹事長をしていた松山昌史・電力中央研究所上席
研究員は、政府事故調のヒアリングに対し、「事業者(電力会社)に受け入れられるものにしなくてはならなかった」と述べている
(*1)


一つ残った疑問は、土木学会を使って時間稼ぎをする方法を、誰が思いついて武藤氏に教えたのか、ということだ。土木学会に審議
してもらうことで数年の間、津波対策完了までの時間を先延ばしするのは、なかなかずる賢く、責任問題をあいまいにするには良い
方法だ。社内の意思決定過程を詳しく知りたい。

東電幹部の責任問題からは少しそれるが、東電の面談記録に残された土木学会に関わる専門家たちの無責任ぶりも公判で明らか
になった。そもそも、津波想定の見直しを含む、古い原発の耐震安全性のバックチェックは、耐震指針が改訂された2006年9月から
3年以内が締め切りだった。当時、指針を担当する原子力安全委員会の水間英樹・審査指針課長は、電力各社に対して「3年以内、
(13か月に1回行う)定期検査2回以内でバックチェックを終えてほしい。それでダメなら原子炉を停止して、再審査」と強く求めていた
 (*2)

ところが東電が面談した研究者らは、バックチェックを実質2012年以降まで引き延ばす東電の方針に、一人を除いて異論を述べな
かった。原発のリスク評価を先延ばしするという重大な判断を、津波というごく一部の領域の専門家たちが、密室で了承してしまった
のだ。本来は、原子力安全・保安院や安全委が開く公開の会合で、津波以外の分野の専門家も交えて「津波評価の先送りをしても
いいか」は検討しなければならないテーマだったはずだ。そして、津波を例外扱いする理由は、おそらく見つからなかっただろう。

◯長期評価の対策で事故 は防げな かった?
宮村弁護士は、15.7mの津波に備えた対策をしていても事故は防げなかった、というストーリーも詰めていった。第2回、第4回の公判
の時と同じように、「地震本部の長期評価にもとづいて津波対策を実施していたら、2011年の東北地方太平洋沖地震の時、津波はど
のくらい福島第一に浸水したか」というシミュレーションにもとづいて、高尾氏とやりとりを続けた。

ただし弁護側の期待通りには、高尾氏が答えなかったように見える場面もあった。東電のシミュレーションは、敷地の南部などごく一
部の区間だけに防潮壁を設置する前提にもとづいている(第4回傍聴記のシミュレーション2を参照)。宮村弁護士は「通常考えられる
位置に設置したら、誰がやってもこの位置に設置することになるのか」と質問。高尾氏は「現場の施工性などを考えると、つなげる、つ
なげない、の判断は、誰がやっても同じにはならない」と、シミュレーションの前提が不確実であることを指摘した。

第4回公判でも、東電設計の久保賀也氏が、この防潮壁配置について、検察官側の石田省三郎弁護士の「敷地の一部だけに防潮壁
を作る対策は、工学的にあまり考えられないのでは」という質問に「そうですね」と認めていた。東電関係者でさえ、このシミュレーション
に不自然な点があることを隠していないのだ。 10m盤の一部だけに防潮壁を作ると、波のエネルギーが横に回り込んで、非常用ポンプ
などがある4m盤の水位は対策前より上昇してしまうこともシミュレーションから示唆された。これではバックチェックの審査に通るとはと
ても思えない。
実際には、事故前の時点では、東電は既設の防波堤のかさ上げと、4m盤を取り囲む防潮壁の組み合わせなどを検討していた。神山
弁護士が東電の社内資料から明らかにした。10m盤敷地の一部だけに防潮壁を作る案は、起訴を逃れるための「後知恵」にすぎない
ように思われる。

◯「運転停止」の可能性 を恐れる
冒頭陳述で、検察官側(指定弁護士)は「運転停止以外の「適切な措置」を講じることができなければ、速やかに本件原子力発電所の
運転を停止すべきでした」と述べた。

今回の公判では、運転停止の可能性について考えていたかどうかも証人とやりとりがあった。
「運転を停止することは考えていなかったのか。運転をしながら評価と対策をすることを進めたのか」という宮村弁護士の質問に、高尾氏
は「地震動のバックチェックもそうなので、津波も同様に考えていた」と証言。裁判官も「事故発生までに、原子炉を止めて工事することを
提言した人はいるか」と質問し、高尾氏は「いないと思います」と答えた。

一方、土木学会の審議が終わるまでに対策工事が完了していなければ、場合によっては運転が継続出来ない可能性があると考えていた
とも証言した。

地震動については、東電はバックチェック開始から1年半で報告書を出した。運転しながら検討した期間は1年半にすぎない。ところが津波
については、東電は報告書提出を2016年まで先送りする計画にしていた。2007年に「津波対策は不可避」と認識していながら、対策終了ま
で9年も対策不十分な状態で運転を続けようとしていたのだ。この判断の是非が、今後さらに問われることになるだろう。

◯3回のまとめ
冒頭陳述で被告人側はこう主張していた。

1.地震本部の長期評価(2002)にもとづく15.7mの津波予測は試算にすぎず、対策のもとにするには不確実性が高かった。
2.15.7m想定が妥当なのか土木学会に審議してもらい、その結果に従う予定だった。
3.たとえ15.7mの試算にもとづいて対策をしていたとしても、東日本大震災時の津波は、試算していた津波と襲来する向きや、浸水の規模
が違う想定外のものだったので、事故は防げなかった。

高尾氏の3回にわたる公判の証言で、1の主張を支えるのは、かなり難しくなっただろう。「長期評価に備えた対策は不可欠と考えていた」と
何度も明言したからだ。2についても、東北電力や日本原電が土木学会の審議を経ないでも独自に新知見を取り込んでいたことがわかり、
東電が津波対策のめどを立てるまでの時間稼ぎにすぎなかった可能性が強まってきた。残る3も、この主張を支えるシミュレーションの前提
が、高尾氏や久保氏(第4回公判証人)の証言で揺らぎ始めた。弁護側が今後、最も重視する3の主張について、どうやって補強して説得力
を持たせるのか、注目される。

(*1)
http://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/054.pdf のp.10
(*2)
鎭 目宰司「漂流する責任:原子力発電をめぐる力学を追う(上)」岩波『科学』2015年12月号のp.1204

刑 事裁判傍聴記:第6回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2018/04/blog-post_12.html
2008年8月以降の裏工作

4月11日の第6回公判は、希望者157人に対し傍聴できたのは68人だった。
この日の証人は、前日に引き続き東電・高尾誠氏。検察官役の神山啓史弁護士が尋問を続け、さらに午後の休憩以降は、弁護側の宮村
啓太弁護士が質問した。
前日10日は、2007年11月から2008年7月31日の武藤元副社長が津波対策先送りを決めた「ちゃぶ台返し」までの動きが中心だった。
この日の公判は、それ以降、事故発生までを中心に時系列に沿って尋問が続けられた。
「ちゃぶ台返し」決定と同時に、もともとは2009年6月に終える予定だった津波対策を先延ばしするために、武藤氏の指示のもと、東電
は様々な裏工作を開始する。安全審査を担当する専門家の同意をとりつける作業、他社が東電の先を行かないようにする調整、原子力
安全・保安院との交渉などだ。検察が押収していながらこれまで公開されていなかった関係者の電子メールをもとに、数多くの新事実
が明らかにされた。

◯「甘受するしかなかった」高尾氏
この日の公判で、東電社内に2010年8月に設けられた「福島地点津波対策ワーキング」という組織の位置づけが初めて明確になった。この
ワーキングは、本店原子力設備管理部(吉田昌郎部長)のもとにある津波対策に関わる部署(高尾氏の所属する土木調査グループ(G)、
機器耐震技術G、建築耐震Gなど)が参加して立ち上げられたものだ。なぜか政府事故調は「頭の体操的なもの」として役割を軽視してい
たが、高尾氏の証言した実態は大きく異なっていた。

このワーキングは、まず2009年6月ごろに高尾氏が一度提案していたが、上層部に拒否されて断念していたのだという。2008年から検討さ
れていた津波対策は、各部署がばらばらに海水ポンプや建屋の水密化などを検討していた。高尾氏は「全体がわかる人がキャップになっ
て有機的に結びつけて検討する必要があると考えた」「将来的に対策工が必要になる可能性は高い。そのために早期に検討、工事を行う
必要がある」としてワーキング構想の資料を作り、上司に進言した。
しかし「そのような会議体は不要である」と上層部は拒否。高尾氏は「最適化されているように見えなかったので進言したが、しっかり
やっていると拒否されたので、甘受するしかなかった」と証言した。
一旦つぶされた構想を、高尾氏は2010年7月に自身がグループマネジャーに昇任したのち、ふたたび提案。そのころ直属の上司らも交代し
ていたことも要因になったのか、今度は受け入れられてワーキングが発足した。

「もし1年早く、最初の進言の時にできていれば」と、海渡雄一弁護士は記者会見で悔やんでいた。建屋やモーターの水密化などの対策は
それほど時間がかからないからだ。

高尾氏は、武藤氏の指示のもと研究者への説得工作も行っていた。2008年10月ごろ、秋田大学の研究者に面談した際の記録には「長期評価
の見解を今すぐ取り入れないなら、その根拠が必要でないかとのコメントがあった」「非常に緊迫したムードだったが、(東電の方針を)
繰り返し述べた」と書かれていた。大組織のサラリーマンの悲哀を感じさせる記録だった。

◯東電の「貞観隠し」

この時期の東電「裏工作」で最も悪質なのは、先行する他社の津波想定を、自分たちの水準まで引き下げようとしていたことだろう。

008年秋に、東電は平安時代に発生した貞観地震(869年、マグニチュード8.4)の最新論文を入手した。津波堆積物を解析したこの論文は、
貞観地震は福島県沖(地図の佐竹モデル8、佐竹モデル10)で起きたと推定していた。東電が論文に従って計算したところ、この地震による福島
第一への津波高さは9m前後になり、原子炉建屋のある高さ10mの敷地には遡上しないものの、海岸沿いにある重要な非常用海水ポンプなどが
水没して機能しなくなることがわかった。

東電は「まだ研究途上で、どこで地震が起きたか確定していない」として、津波想定に取り入れないことを決め、東北電力など近くに原発を持つ電
力会社に伝えた。ところが東北電力は、女川原発の津波想定に、この論文の成果を取り入れる方針を決めており、東電に同社が(報告書に)記載
することは不都合でしょうか」と尋ねていた。
これに対して東電は「同一歩調が当社としては最も望ましい。女川では(貞観津波を想定しないと)話にならないということであれば、あくまで「参考」
として(保安院に)提示できないか」と東北電力に意見を伝えていた。

結局、東北電力は貞観津波について東電の意見通り「参考」扱いに変えた。さらに報告書の提出を約1年以上遅らせた。提出遅れに東電が関与
したかどうかは今のところ不明だ。

◯反対尋問と残った疑問
宮村弁護士による反対尋問は、2002年の長期評価による津波地震の津波よりも、東日本大震災の時の津波が大きいから、長期評価に備えた対
策では事故を防げなかったという従来の弁護側の主張に沿ったものだった。弁護側の主張を補強する新たな事実は示されなかった。

残った疑問は、当初2009年6月とされていた津波想定の報告書提出が、2016年まで引き延ばされた経緯だ。これは高尾氏ら実務担当者の業務
にも影響が大きいと思われるが、公判では触れられていない。次回公判や、今後証人として登場してくるであろう高尾氏の上司らの証言で、さらに
解明が進むと期待している。

刑 事裁判傍聴記:第5回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2018/04/blog-post_11.html
津波担当のキーパーソン登場
4月10日の第5回公判は、希望者165人に対し傍聴できたのは68人だった。
この日の証人は東電の高尾誠氏。私が高尾氏の姿を見たのは6年ぶりだった。ずいぶん白髪が増えていたが、表情は以前よりすっきりした
感じに見受けられた。武藤栄元副社長の津波対策先送りに「予想外で力が抜けた」とまで率直な証言をする、その覚悟を決めていたからだ
ろうか。

高尾氏は1989年に東電に入社。柏崎刈羽原発の土木課で4年働いたのち、1993年に本店原子力技術部土木調査グループに異動。その後は東通
原発に勤務した期間(3年)をのぞいて、事故まで約15年間、本店の土木部門で津波や活断層の調査を担当していた。東電の津波対応の全て
を知っている「最重要の証人」(海渡弁護士)である。今回を含めて計3回の公判期日が高尾氏の尋問にあてられていることからもわかる。
公判は、検察官役の神山啓史弁護士の質問に高尾氏が淡々と事実関係を答える形で進められた。

◯長期評価が焦点
焦点は、2002年7月に地震調査研究推進本部(地震本部)が発表した長期評価を、東電の技術者はどう考えていたかだった。この長期評価は、
福島沖の日本海溝沿いでM8級の津波地震が起きうると予測していた。その津波高さを計算すると15.7mになる(第4回公判傍聴記参照)。
高尾氏の証言で明らかになった重要な事実は、津波想定を担当していた東電本店の土木調査グループの技術者たちは、2007年11月以降ずっと
福島沖M8への対策が必要だと考えていたことだ。東電の事故調査報告書は「15.7mは試し計算である」として、本気では取り組んでいなかっ
たかのような記述をしていたが、それは誤りであることがはっきりわかった。
地震本部の長期評価を取り入れるべきだと考えた理由として、高尾氏は以下のような項目を挙げていた。
1.専門家へのアンケートで、長期評価支持が半数を超えていた
2.東通原発の設置許可申請で、長期評価を取り入れていた
3.地震本部は国の権威を持つ機関である
4.原子力安全・保安院で古い原発の安全チェックをする会合の主査である阿部勝征・東大教授(故人)が、長期評価を強く支持していた
5.確率論的な津波評価でも、敷地を超える津波が発生する確率は、対策が必要と判断される値だった

◯現場は一貫して「対策必要」
 高尾氏ら現場の技術者は、2007年11月からずっと対策の検討を進めていた。「対策を前提に進んでいるんだと認識していた」と高尾氏は証言
した。それが2008年7月31日、わずか50分程度の会合の最後の数分で、武藤副社長から突然、高尾氏が予想もしていなかった津波対策の先送りが
指示される。高尾氏は「それまでの状況から、予想していなかった結論に力が抜けた。(会合の)残りの数分の部分は覚えていない」と証言し
た。今回の公判のクライマックスだった。
高尾氏の上司である酒井俊朗氏は、この日の結論について、他の電力会社に以下のようなメールを送っていた。

推本《地震本部》で、三陸・房総の津波地震が宮城沖〜茨城沖のエリアのどこで起きるか分からない、としていることは事実であるが、 原子力
の設計プラクティスとして、設計・評価方法が確立しているわけ ではない。(中略) 以上について有識者の理解を得る(決して、今後なんら対応
しないわけではなく、計画的に検討を進めるが、いくらなんでも、現実問題での推本即採用は時期尚早ではないか、というニュアンス)。  
以上は、経営層を交えた現時点での一定の当社結論となります。
 
11日以降の公判で、この「有識者の理解を得る」ために東電が何をしたかが明らかになるだろう。

◯浮かび上がった疑問
公判を聞いていて、いくつか疑問が浮かんだ。東電は、他の電力会社とも連絡をひんぱんに取り合っていたことがこの日の公判で示された電子メ
ールで明らかになった。それによると2008年7月時点で、東北電力はバックチェック最終報告書を2008年12月に予定していた。ところが実際には
2010年春まで延ばされ、報告書も公開されなかった。この背景に、東電が津波想定を先延ばしたことがあるのではないのだろうか。東北電力が先
行して最終報告を出すことに、東電が抵抗したのではないかということだ。東北電力が先にだせば、東電が高い津波の対策ができず最終報告を先
延ばししていることが明らかになってしまうからである。
もう一つは、東北大学・今村文彦教授の意見が変わってしまったことだ。今村教授は、原発の安全審査にかかわる津波の専門家として、東電も重
く見ていた。2008年2月26日に高尾氏が面談した時は、「福島県起き海溝沿いに大地震が発生することは否定できないので波源として考慮すべきで
あると考える」と話していたと、公判で示された東電の記録でわかった。またアンケートでも、長期評価を支持する方に多くの重みを置いていた。
しかし住民らが東電や国を訴えている集団訴訟に、今村教授が出した意見書では「福島県沖の日本海構沿いでも発生することを想定した津波対策
をすべきであったとはいえない」と述べている。今村教授はいつ、考えを変えたのだろうか。これも今後の公判で解明を期待したい。

刑 事裁判傍聴記:第四回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2018/03/blog-post_8.html
事故3年後に作られた証拠
2月28日の第4回公判は、傍聴希望者187人に対し傍聴できたのは62人で、約3倍の倍率だった。
この日の証人は東電設計の久保賀也氏。東電設計は東電が100%の株を持つ子会社で、原発など電力施設の調査、計画、設計監理などを担っている
コンサルタント会社だ。久保氏は、同社の土木本部構造耐震グループに所属し、津波計算などの技術責任者を務めていた。
今回の公判では、東電設計が計算した、以下の三つの津波シミュレーション関連を中心に尋問が進められた。

1.)政府の地震調査研究推進本部が2002年に予測した津波地震が福島沖で発生したら、福島第一原発にどんな津波が襲来するか。また、ど のような
対策が考えられるか
2.)もし1.)にもとづいて対策を実施していたら、2011年の東北地方太平洋沖地震の時、津波はどのくらい福島第一に浸水したか
3.)東北地方太平洋沖地震の津波を防ぐには、防潮壁の高さはどのくらい必要だったか

証人尋問では、最初に指定弁護士の石田省三郎弁護士が、1.)のシミュレーションの経緯について明らかにしていった。東電設計は、東電からの依
頼や打ち合わせの内容、資料、出席者等を品質マネジメントシステムISO9001の定めにしたがって詳細に記録していた。検察が持っていたその記録が、
事故の経緯を明らかにする上でとても役立つことが、この日の証人尋問で見えてきた。
久保氏は、2007年11月から2008年夏にかけて、どんな考え方で1.)のシミュレーション作業を進めて高さ15.7mの津波想定を求めたか、また 10mの
防潮堤を設置する対策案の位置づけなどを証言した。津波を低くするために、東電が「摩擦係数の見直しができないか」と依頼し、東電設計が断わって
いたことも明らかにした。

一方、弁護側の宮村啓太弁護士が強調してきたのは、2.)や3.)のシミュレーション結果だ。
1.)のシミュレーションで、東電設計は海抜10mの福島第一原発敷地の上を、ぐるりと全部取り囲む形で高さ10m(海抜20m)の防潮壁 を設置する案を
示していた。
2.)のシミュレーションは、いくつかの仮定にもとづいている。1.)で提案されていた敷地全部を取り囲む防潮壁のうち、海抜10m以上の津波が打ち
つける部分「だけ」に、ピンポイントで防潮壁を作る。具体的には、敷地南部、北部と、中央のごく一部だけだ。その他の大部分の区間には防潮壁は
設けない。
そのような、櫛の歯が欠けたような状態の防潮壁の配置のもとで、東北地方太平洋沖地震の津波が襲来したらどうなるかを計算すると、敷地の広範囲
に浸水する、というのが2.)の結果だ。「対策をとっていても事故は避けられなかった」という東電側の主張を支えるものである。
これに対して石田弁護士は、2.)について、「敷地の一部だけに防潮壁を作るという対策が、工学的にありうるのか」と久保氏に尋ねた。久保氏は
「弱い」と返答。「あまり考えられないのでは」という念押しに、「そうですね」と認めた。
2.)のシミュレーションは、40以上計算した津波地震の発生パターンのうち一つに絞り、それへの対策をピンポイントで実施する仮定にもと づいている。
断層の位置、傾きなど地震の起こり方が少しずれるだけで、敷地のどこが一番高い津波に襲われるかというパターンも異なってくる。その不確かさを久
保氏も認めた形だ。

3.)のシミュレーションは、東北地方太平洋沖地震の津波が全く敷地に遡上しないようにするためには、高さ何mの防潮壁が必要だったか試 算。その結
果、最大で高さ23m以上が必要だったことがわかったとしていた。
これについては、シミュレーション結果を詳しくみると、高さ23m以上の防潮壁が必要となるのはごくわずかの区間だけであることが石田弁護士から示
された。高さ10mで全周を覆っていれば「(事故防止に)一定の効果があった」と久保氏も証言した。

そもそも、2.)3.)のシミュレーションは、勝俣・元会長ら3人に対し、検察審査会が「起訴相当」(起訴すべきだ)という1回目の議決を出した2014 年
7月の後で実施されたことも尋問の中で明らかにされた。事故から3年以上も経過したそのタイミングで2.)3.)のシミュレーションを実施した理由に
ついて久保氏は「わからない」と答えた。
しかしこの時期のシミュレーションは、「対策を取っていても事故は避けられなかった」という東京地検の不起訴判断を補強するために、東電や検察の
意向に沿って実施されたように見える。そもそも、千万円単位にのぼるシミュレーション費用を誰がどういう名目で負担したのかも気になる。

弁護側が重視する2.)3.)のシミュレーション結果に、どれだけの意味があるかについては、4月以降の証人尋問で、さらに詳しく明らかにされることだ
ろう。

刑 事裁判傍聴記:第三回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2018/02/blog-post_11.html
決め手に欠けた弁護側の証拠
第3回公判では、指定弁護士側が3点、東電元幹部の弁護側が64点の新たな証拠を提出し、双方の弁護士がその要旨を読み上げた。証人は出廷せず午前
中だけで終わる地味な法廷だったが、内容は興味深かった。弁護側がこれからどんな方向で東電元幹部の無罪を主張しようとしているか、垣間見えた
からだ。
弁護側の証拠は、大きく三つのグループに分けられた。

一つは、中央防災会議(内閣府)の関係者らによる、「地震本部の長期評価(2002)は信頼性が低い」などという一連の証言だ。しかし、以 下の違い
を無視している。中央防災会議が当時ターゲットとしていたのは数百年に一度起きる確実度の高い災害だ。一方、原発が考慮しなければならないのは、
10万年に1回起きる災害である。長期評価の予測する津波地震が、中央防災会議としては防災対象に取り入れにくい数百年に一度以下の頻度であったか
らといって、原発でも無視して良い、という理由にはならない。

二つ目は、日本海溝の北部(三陸沖)、中部(福島沖)、南部(茨城沖)で海底の構造が違うので、北部から南部まで、どこでも同じように津波 地震
が起きるという長期評価は間違っているという考え方に沿った一連の学術論文だ。しかし、これも説得力は低い。そもそも地震本部は、弁護側が持ち
出してきた論文も考慮に入れた上で長期評価をまとめている。また、その後の研究の進展も反映して長期評価は2011年3月時点で改訂作業中だったが、
そこでも弁護側が持ち出したデータも参照した上で「日本海溝のどこでも津波地震は起きる」という結論は見直されなかった。さまざまな学術論文や
データをとりまとめた長期評価を、単独の論文で崩すのはとても難しい。学問的にはすでに決着済みの問題なのだ。

三つ目、おそらくこれが弁護側主張の柱になるのだろう。「長期評価に備えた対策をしていたとしても、東日本大震災時の津波はもっと大きかっ たので、
事故はふせげなかった」という主張を裏付けるための、東電による津波解析、検察の捜査資料などだ。
これにも疑問が残った。長期評価の津波地震に備えるため、敷地を北から南まで全面に覆うように高さ10m(海抜20m)の防潮壁があった時に、東日本大
震災級の津波が襲来したら、どのくらい浸水するのかというシミュレーションの結果は、示されていない。証拠で出されたのは、敷地一部に防潮壁を作
った場合では、東日本大震災級の津波は防げなかったというデータばかりだ。
また、敷地を全面に覆う防潮壁を建設するには、数年間の運転停止が不可欠になると思われる。津波への耐力不足が明らかなのに運転を続けながら工事
をするのを地元に認めてもらうのはかなり困難だと思われるからだ。2008年に防潮壁建設にゴーサインが出れば、東日本大震災の時、福島第一原発は工
事のため運転は止められており、事故は確実に避けられただろう。「長期評価への対策では、事故は防げない」という弁護側の主張は、運転を止めずに
工事することが前提になっており、そこも弱い。

弁護側の主張3つの柱は、これまでも民事訴訟で国や東電が持ち出してきたが、前橋地裁(2017年3月)や福島地裁(同年10月)の判決で認められなかっ
た論法と同じだ。弁護側が、刑事裁判に提出してきた新たな証拠でも、それを覆すような説得力は持ち得ないように見えた。この程度の証拠で、弁護側
は戦ってくるのか、それともまだ秘策を隠しているのか。今後の展開が興味深いところだ。

刑 事裁判傍聴記:第二回公判(添田孝史) http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2018/01/blog-post_29.html
2018年1月26日、都心の気温は午前7時前にマイナス3.1度まで下がっていた。
東京地裁で7か月ぶりに開かれたこの日の第2回公判から、証人を呼んで指定弁護士(検察側)、元東電3幹部の弁護側が尋問する形で裁判が進められた。
この日の証人である上津原勉氏は、事故当時は原発の安全対策を担う原子力設備管理部の部長代理。事故後は、東京電力自身による事故調査の報告書の
作成に関わり、データを集めたり、原案をまとめたりする仕事を担当していたという。
昨年6月の初公判を私は傍聴できなかったので、今回初めて、被告人や弁護士などを見ることができた。
「ああ、この人が強制起訴を決めた検察審査会で補助員をしていた山内久光弁護士か」などと思いながら法廷に並ぶ顔ぶれを眺めていた。法廷左手の弁
護側席の後ろの列に、被告人の武藤氏、勝俣氏、武黒氏が並んで座っていた。武黒氏は、やや顔色が悪いようにも見えたが、勝俣、武藤両氏は元気そう
だった。勝俣氏は右手で頬杖をついて、証人の方に強い視線を向けているときもあった。
公判の午前中は事故に関する基礎的な事実関係のおさらい。
原発の説明の現場で良く見かける日本原子力文化財団の資料 http://www.ene100.jp/map_5
などを使い、原発の仕組みや、東電福島事故の経過などを上津原氏が説明した。
その後、法廷で進められたやりとりでは、ポイントは二つあったように見えた。

「想定超え対策」は後知恵なのか
一つは、海辺に建設する防潮堤、敷地上に作る防潮壁、重要機器の水密化、発電機を高台に設置するなどの対策を事前に行えば、事故を防ぐことができた
のかどうかだ。弁護側の宮村啓太弁護士は、そのような対策をする発想は事故後の「後知恵」であって、事故前には、どこも検討さえしていなかったと証
人から引き出そうと、質問の仕方を様々に変えながら繰り返した。
 それに応じて上津原氏は「想定を超える津波への対策を検討したことはない」という趣旨のことを述べた。「それは事実と異なっているな」と思ってい
たら、傍聴席右手の指定弁護士側席の後ろの列から、石田省三郎弁護士がムクリと立ち上がった。そして、上津原氏に東電社内の福島地点津波対策ワーキ
ング会議で2010年8月以降、想定超え津波に対する検討が実施されていたことを指摘。上津原氏は「それは知っている」と答えた。
 「想定超えを検討したことはない」という上津原氏の前言が鮮やかにひっくり返され、オセロゲームを見ているような感覚だった。

「防潮壁は南側だけ」のわかりにくさ
もう一点、宮村弁護士が強調しようとしていたのは「地震本部の長期評価にもとづいて防潮壁を作るとしても敷地南側だけになった。だから今回の津波は防
げなかった」という従来からの東電側の主張だ。
津波シミュレーションを時系列で並べた図、敷地内の津波水位分布図などのカラー図版(弁護側資料3)を証言台横の書画カメラで映し出し、「この図から
どんなことがわかるか」と、上津原氏に説明を求めた。
宮村弁護士は、敷地南側の前面で水位が高いので、南側だけに防潮壁を作ることを検討することになっただろうという証言を期待していたように見えた。
しかし、そもそも図の意味が説明されていないので、傍聴者には、法廷でのやりとりの内容が、とてもわかりづらかった。
カラー図版のうち、いくつかは東電株主代表訴訟ですでに提出されているものと同じに見えたが、見たことのない水位分布図もあったからだ。公判後に海渡
弁護士らに図の意味を教えてもらって、弁護側の「防潮壁は南側だけになる」という主張に、相当無理があることが、ようやく理解できた。
今後の公判でも、証拠書類の詳細が示されないまま法廷で専門的なやりとりがなされれば、傍聴する人が理解するのは、とても難しいだろうな、と予感させ
られる出来事だった。これから、さらに専門的な証人が続くので心配である。

2008年6月10日の会合
上津原氏は、2008年6月10日に、武藤氏に15.7mの津波高さが報告された重要な会合にも出席していた。その時の記憶を尋ねられると、「当事者とし ての記憶と、
事故調とりまとめにおける記憶とが重なっている」という趣旨の発言を繰り返した。そもそも上津原氏は、機械のメンテナンスなどが専門であり、津波予測の
信頼性についての証言に重みがあるとは思えない。しかし事故に関わる重要な会合に当事者として参加していた人物に、事故調査報告をとりまとめさせていた
とは、東電の事故調査に対する姿勢が疑われる。
今後の公判で、20人以上登場する証人は、より事件の核心に近い人に近づいていくようだ。これまで隠されてきた事実が、明るみに出されることを期待する。

NO MORE FUKUSHIMA 2011 2017.12.10 添田孝史氏講演「東電を助けた『国策』手抜き捜査」
https://youtu.be/1MOAjXRzzx8
福島原発告訴団 添田孝史さん講演「東電を助けた『国策』手抜き捜査」
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2017/12/blog-post_8.html
福島原発告訴団 「東電元幹部刑事裁判が始まった! 9.2東京集会」開催
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html
福島原発告訴団 「初公判 福島報告会」開催
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2017/07/blog-post_18.html
福島原発告訴団 初公判・東京地裁前集会&記者会見動画
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2017/07/blog-post_46.html
福島原発告訴団 「東電刑事裁判」第1回公判報告
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/2017/07/blog-post_66.html